2011-07-14

また「思います」?  NO 2666


 まずは未明に号外として発信された「なでしこジャパン」の勝利に「よくやった!」としたため、来るアメリカとの決勝戦の健闘を期待する。

  さて、前号で触れた「謝罪したいと思います」がその後もオンパレード。九電の社長の「お詫びしたいと思います」もあったが。急遽帰国したという九電会長の 「電力会社は電気を供給してなんぼ」というニュアンス発言にはびっくり。今、そんな言葉がどれほど社会を逆なでするかも理解出来ない人物がトップとは新た な衝撃である。

 なぜ「お詫び申し上げます」ではなく「申し上げたい」と「思います」が出てくるのだろうか、その背景には「お詫びしたくない」という本音が丸見えで、社会人としては羞恥の発言だと知って欲しいものだ。

  NHKの午後9時のニュース。男性アナウンサーの方はしっかりされているが、女性アナウンサーが情けない。放送終了時に「それでは、今日はこれでお別れし たいと思います」とはプロらしからぬ恥ずべき言葉。また「アインシュタインの眼」という番組の終了時、「それでは**さんの演奏をお聞きいただきながら、 今日はお別れしたいと思います」とのアナウンス。NHKに、こんな初歩的な過ちを指摘する上司がいないのだろうかと残念でならない

 我々葬儀の司会にあって「それではここで導師にご入場いただきたいと思います」なんてアナウンスしたらどうだろう。私の教え子なら破門すべきレベルで、会場空間の儀式的神変には程遠い世界が生まれるだろう。

儀式という言葉が登場したところで別の話題を。卒業式で「君が代」を唱歌しない権利があると司法に訴えた元教諭がいたが、最高裁判所は教諭側の敗訴を決定し、罰金刑という判決に至ったニュースがあった。

 この判決の中に添えられた要旨に、卒業式の中で大声を張り上げて妨害をしたというのがあったが、法律の中に、およそ「式」と称する場で妨害することはと犯罪であると明記され、結婚式、葬式や年中恒例のお祭りなども含まれている。

 入学式や卒業式での君が代斉唱のひととき、そこで信条の異なりから起立しないで着席したままというのは異常な光景。黙って立っている方が「大人げ」ある行動とは考えられないだろうか。起立が礼節という規律と考えるべきだろう。

 思想の議論は校長や教育委員会とすればよいし、生徒達や保護者を巻き込む行為は行き過ぎで卑劣と言われても仕方がないだろう。

  今回の九電の愚かな行為で玄海町長が立腹され、再開を撤回する事実に至ったが、数日前のテレビ番組で、山口県の瀬戸内側に計画されている原発に揺れる地元 の問題が採り上げられていて、建設地である島の大半の人々が反対する中、同じ町となる隣の島の人々は賛成が多く、それで交付金や雇用が生まれるという意見 をバックに「民主主義は多数決だ。賛成の方が多いのに」と叫ばれる姿に衝撃を受けた。

 真の民主主義とは多数決であっても少数意見を尊重することであり、数の論理ですべてを決めて行くことの恐ろしさを知るべきであろう。

  昔、アメリカのある川の上流に、雇用と町の活性化を考えて工場を誘致する事件があったが、反対したのは医師一人だけ。周囲から蔑視されながら月日が流れた ら、やがて医師が指摘していた下流での汚染問題が表面化。そこから取り返しの付かない自分達の行動を後悔する現実を迎えた。

 そうそう、 数日前のテレビ番組で、阪神淡路大震災の時の復興大臣のことが取り上げられていた。大臣就任間もなく、二人の人物からアドバイスがあり、その一人「竹下 登」氏からは「言動に細心の注意を」と。そしてもう一人である「後藤田正晴」氏からは一冊の本を読めと薦められ、どちらも被災者にとって大いに役立つ大臣 の行動につながったという秘められたエピソードであった。

 その本とは八甲田山の遭難を書いた有名なもので、トップにいる責任者のひとことの発言で、部下達の希望をすべて失望と化してしまう恐ろしさを教えられたそうだ。

 危機管理でも名高い政治家として「カミソリ後藤田」と異名があったしだが、「異名」を「偉名」と変換したい秘話であり、どこかの大臣に聞かせたい内容であった。

  今日も長くなるが、人に思いを伝えるというコミュニケーションにあって言葉は重要だが、アメリカの心理学者の研究によると、言葉そのものによるメッセ-ジ は7%。その声のトーンと口調が38%。手指や身体の所謂「ボディランゲージ」が55%と分析されており、過日の復興大臣の辞任劇に至ったニュース映像 は、何よりそれらを物語っていると言えるだろう。

 菅総理の言葉は「下手」である。小沢前代表も同じだが、母音を接続のために引っ張る聞き苦しさが顕著。「これにつきましてはア~、国民の皆様にイ~、お考えいただいてエ~」なんて聞かされるのだから堪らない。

  前にも書いたが、教授と呼ばれる人達の中に「ですね調」が多いのも困ったもの。「これはですね、国民の皆様がですね、お考えになってですね、将来をです ね」なんて疲れてしまうではないか。視聴者だけではなく、大学で講義を受ける学生達の日本語が心配になる今日この頃である。
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