2013-06-10

司会のこと  NO 3305


 シーンの会長のコラムでは交通事故の悲劇について触れ、「幸せ列車」のコラムでは過去に体験した珍しくて貴重な出来事について書いた。

 66年も生かされると忘れられない様々な思い出がある。小学校の一年生か二年生の時の体験だが、先生から生徒全員に細い竹の棒を持参するように命じられ、教室に行くと長方形の白い紙が配られ、中央にコンパスで丸い円が描かれていて赤く塗るように言われた。

 もうお分かりだろうが、それは国旗の「日の丸」であり、完成した次の日、旗を持って地元の山の中腹に遠足みたいに連れられ、1時間ほど経つと近くの地道を埃を巻き上げて走る車列が通り、先生が「旗を振りなさい」と仰った。

 それは、昭和天皇が行幸された際の歓迎行動だったが、その時に昼食を召し上がられたのは親戚の料亭だったので名誉なことだと親戚中で盛り上がったことを憶えている。

  これまでの体験で不思議な出来事があった。「虫の知らせ」という言葉があるが、父が死を迎えたのは38年前のある日の暁方だったが、兄弟それぞれに電話を 掛けたら、みんな呼び出し音が2回ぐらいでつながり、「何か胸騒ぎがした」とか「早くに目が醒めた」「眠れなかった」なんて言葉があったので驚いた。

 人の命終のかたちは様々、少なくとも誰かに看取られて逝きたいものだが、それらが叶わないことも少なくない中、関係者が何かを感じる「波動」のような事象があるようで、多くの方々からそんな体験談を耳にしたことがある。

 3分や4分で人生を語るナレーションとは無理もあるが、少しでもご遺族が不幸でないようにと考える一つの手段で、そんな短い時間の中の物語のシナリオは簡単ではないことを学びたい。

多くの司会者を指導して来たが、勘違いをして「美辞麗句」のオンパレードというケースを否定した出来事が多かった。

 私がナレーションの創作で重視して来たことは「命」と「宗教」に関することの大切さ。そんな構成が多くの宗教者の方々の賛同を頂戴し、「久世栄三郎の世界」として全国に広まった歴史がある。

 ある方の葬儀、ナレーションの取材を始め、ある程度構成してからお通夜を終えたお寺様に打ち合わせに参上したら、どんなことを喋るのかを確認され、お寺様の控室で実演することになり、宗教的な部分を追加するようにご指導を受けたことも懐かしい。

 ある社葬で、映像をバックに13分語り続けたケースもあったが、それはご遺族や社員の方々の思いを「かたち」として創作したもの。参列された方々から「ドラマ」みたいな世界だったというご感想をいただいた。

 お孫さんや曾孫さんのお別れの言葉を代読することもあるが、時にはお世話になった病院に対する喪主様の感謝の思いを語ることも悪くないこと。すべては取材をさせていただく姿勢から「完成」するもので、司会者は究極のサービス業と考える「感性」が重要なのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net