2013-04-29

沖縄のこと  NO 3268


 政府主催で主権回復記念式典を行っている一方で、沖縄では「屈辱の日」として大規模な抗議集会が行われていた。客観的に見た目ではシナリオを描いたプロデューサーのレベルが低かったことに尽きるだろう。

高額な税金を使ってこれだけのことをするのに、根回しという基本的なことに消極的だったことは否めず、靖国神社参拝問題と同じで「した方」と「された方」の拗れは簡単ではないと言えるかもしれない。

 安倍総理は式辞の中で沖縄の苦痛の歳月について触れられたが、それで払拭出来るような簡単な問題ではなく、もっと奥深い歴史の事実があるような気がする。

 また、靖国神社の問題は、10年後も50年後も解決しているとは考えられず、この問題に関する韓国や中国との軋轢は半永久的に続くような気がしている。

 被害者という立場は、時間の停止したところに瞬時に戻ることとなり、その修復に時間が解決するのは難しく、歴史という伝言、伝達によって語り継がれるものである。

 安倍総理の前向き発言と行動が目立っているが、謙虚と礼節を忘れては日本人ではなくなってしまう。経済問題も同じで「円高」「円安」に顕著なように、何処かで笑う人が出れば何処かで泣く人が存在することも忘れたくないもの。

 我が国内に存在する米軍基地の7割以上が沖縄にある現実もあるが、奄美の人達にも抵抗の声が高いことは事実である。

 佐藤栄作総理の時代であった昭和47年に沖縄が日本国として返還されたが、終戦からそれまではアメリカの統治下にあり、沖縄へ行くにはパスポートが必要であった。

  沖縄には何度か行ったことがあるが、初めて行ったのは昭和38年の夏のこと。神戸中突堤から乗船した関西汽船の「浮島丸」で荒天の中で奄美を経て、那覇の 泊港へ入港した際に多くの犠牲者が出た「みどり丸」遭難事故で多くの人達が集まっていたことを鮮明に憶えているが、上陸するのに「南西諸島」へ旅行という パスポートで審査を受けたことも忘れられない。

 20年ほど前のことだったが、那覇空港から乗ったタクシーで貴重な体験をした思い出があ る。ホテルで待ち合わせをしていた時間に余裕があったので「どこかお勧めの観光ルートがあれば」と頼んだら、「お客さん、ビールを飲まれますか?」と言わ れてびっくり。「少しは飲めますが」と返すと「それでは」と連れて行ってくれたのは想像もしなかった
場所であった。

 空港から 10分ほどで着いたのだが、幹線道路に接した建物の入り口には米軍の兵士が立ち、敬礼をして迎えてくれ、入り口の扉を開けた所の受付で運転手さんがサイン をしている。やがて入った施設の中は社交場という感じだが、日本人らしき姿は誰もなく、まるで映画のシーンのような不思議な光景であった。

 2人でビールを1本だけ飲み、支払った金額の低料金にも驚かされたが、タクシーに戻って事情を伺って改めて驚くことになった。

「私はね、ベトナム戦争に従軍協力した歴史がありましてね、米軍のどこの基地でも出入り可能な特別パスを貰っているのです。今の施設もそうですが、あそこは自衛隊でも昔で言うなら大尉以上の高官でなければ入れません。ゴルフをされるなら嘉手納基地内も可能ですよ」

 そんな運転手さんと偶然に出会った幸運に感謝をしたが、同時に沖縄の複雑な基地問題を考えさせられたことにもなった。

 今日の結びにシーンの「会長のコラム」の内容の紹介。墓石や遺骨箱に関してしたためた。また「幸せ列車」のコラムでは有名な漫画家「東海林さだお」さんの見事なシナリオ構成のアイデアに感嘆したことを紹介した。ご興味があれば上部<のHOME>からどうぞ。
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