2017-02-26

歴史が流れても  NO 5991

柳川の風物詩BSの番組で戦前の偉大な投手たった沢村栄治氏を採り上げていた。三重県宇治山田市出身で京都の高校から当時の読売新聞社のトップだった正力松太郎氏から誘われて巨人軍に入団。誰からも称賛される成績を残されたが、2回も戦地に赴く体験をされ、ボールより3倍も重い手榴弾を投げることで肩を壊されたが、帰還されてから剛速球タイプから技巧派に転身、それでもノーヒット・ノーランを記録されているのだから驚きである。

氏がこの世に生を享けられたのは1917年2月1日だがら今月の1日に生誕100年を迎えらえたことになる。

勃発した太平洋戦争で3回目の召集を受け、フィリピンの戦線へ向かう途中の輸送船が屋久島近くでアメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け戦死をされたそうだが、現在のプロ野球に「沢村賞」が存在しているように、氏の現役時代にはいっぱい伝説があり、それはこれからも語り継がれて行くことだろう。

氏のお墓も紹介されていたが、墓石の上部に縫い目まで再現されたボール状の物が設置され、誰の目にも氏のお墓であることを物語るようになっている。

宇治山田駅の近くに倉田山球場があるが、ここにも氏の銅像が存在しているが、もう一人銅像が存在しているので紹介しておこう。

その人物は大阪タイガースで活躍された「西村幸生投手」で、この人物も偉大な功績を残されている。

沢村氏の生家は八百屋さんだったそうだが、西村氏の生家は外宮前に今でも営業されている鰻料理店で、一度立ち寄ろうと思ったら休業日で残念だったことを憶えている。

鰻料理が出て来たところで6月に予定している友人達との九州旅行だが、博多の天神から西鉄の特急を利用して柳川駅に行き、川船観光で知られている所にある「若松屋」に立ち寄るコースも考えている。

この柳川は大相撲の大関「琴奨菊関」の出身地としても知られており、近くには北原白秋の生家も記念館として見学されるようになっている。

柳川から大牟田駅まで行き、そこから平山温泉に行く予定を話し合っているが、二日市温泉、武雄温泉、黒川温泉、山鹿温泉、玉名温泉、内牧温泉、筋湯温泉、宝泉寺温泉、湯布院温泉、別府温泉など様々な意見が分かれており、全員が納得する行程を組まなければならない。

全員が65歳を過ぎている。JRの「ジパング倶楽部」の存在を説明して入会を勧めたら、全員が証明写真を用意して大阪駅にある事務所に行った。

メンバーになるだけで新幹線の「さくら」の往復が2割引きになる。乗車券、特急券に適用されるのだから一度で入会金を上回る。

「あまりJRを利用しないから」と言っていた人物も驚かれて入会されたが、この数年更新を続けている我々夫婦は3割引きとなっている。

今日の写真は柳川のイメージを。冬季には川下りに「こたつ船」も登場するし、来月になれば「お雛さん」で知られている。
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