2013-01-17

あの日から18年  NO 3166


  遠い昔、東京に在住する友人との会話の中に、「白浜から勝浦に行く予定」との言葉があり、それだったら名古屋から紀勢線周りで行くものだと勝手に推察「帰 路は大阪へ立ち寄って」と返したら、どうも会話が噛み合わず<?>を感じていると、彼の言う「白浜」と「勝浦」は房総半島にある地名で、紀伊半島にある同 名の温泉地だと勝手に勘違いをしていたことを知り、地図で確かめて思わず苦笑した体験があった。

 そんな話を別の友人にしたら、「白浜な ら伊豆にもあるよ」と教えてくれたが、幼馴染みのことをネットで調べていたら、過去に行ったことのある「古里温泉」という地名が、鹿児島県桜島だけではな く、三重県紀伊長島にもあることを知り、幼馴染みが、かつてその地の消防長に就任していたことも知った。

 地名が同じというケースは全国 的にあるようだが、オバマ大統領就任で盛り上がることになった「小浜」も知るだけで3か所ある。長崎県雲仙にある小浜温泉、京都の京丹後市にある海水浴場 で知られる小浜海岸もあるし、そこから遠くないところに福井県小浜市があるのだからややこしい。

 車載されるナビゲーションがどんどん進 化して来ているが、入力するのは人間のすること。過去に西の地方から来社される人物が予定時間を過ぎても到着せず、事故でも遭遇したのではと心配していた ら、2時間以上遅れてやって来たので事情を聞いたら、ナビに「生野」と入力したら、中国道から山陰の方向へ導かれ、それが「生野銀山」に向かっていること を知って戻ったそうだった。

 事故でなく姿を目にしたことで安堵したが、今では懐かしい思い出となっている。

 さて、今日は阪神淡路大震災から丸18年目を迎える。多くの犠牲者の事実を慮り、静かに手を合わせるひとときも過ごした。

  犠牲者のお迎えやご葬儀を担当させていただいた思い出もあるが、印象に残っているのはご夫妻のご葬儀。お二人のご遺影が斜め前方から撮影されていたことか らご祭壇中央で向き合っていただくようなセッティングをしたが、自然の恐ろしさと人の命の儚さを実感した出来事であった。

 発生した日から,約一か月後、事務所内の壁紙に地震の爪痕と思える亀裂を発見。同じ高さで長く入っていたので恐ろしくなったが、それだけ揺れたという痕跡であった。

  震災発生から10年目に天皇皇后両陛下がご主席をされた慰霊式が神戸で行われ、交流のある同業者が担当していたことから前日のリハーサルに入り、恐れ多く も陛下の役をして入場させていただいた思い出も忘れられないことだが、その日を迎えるまでにスタッフの氏名やや関係車両のナンバーなどを申請し、入場許可 証を取得しておかなければならず、皇室がご出席される際の大変な背景を学ぶことにもなった。

 地震は天災であるが、建物の崩壊や津波情報の伝達遅れなどは人災である。人間は叡智を終結して素晴らしい「787型機」のようなものを製作するが、そこにマンネリに秘められた意外な問題があることを考えない生き物のようだ。

 事故を起こさない前に考えるべきと言うのが持論だが、事故を起こして学ぶこともあると考える愚かな発想もあるのだから情けない話。短期間にこれだけ次々に問題が出て来ることは本当に不思議なことだが、それが示唆していることを徹底的に探究するのが何より重要である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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