2013-01-02

元日を迎えて  NO 3147


 新しい年を迎えた。葬儀という仕事から寿ぐ言葉は控えさせていただくが、どうか大地震が発生しないよう、大きな台風が襲来しないようにと手を合わせ、世界平和を願いながら皆様のご健勝とご多幸を衷心より祈念申し上げる。

 大晦日、真向かいの銭湯に行ったら「柚子湯」だったので心地よい香りの世界に包まれたが、お客さんがいつもの数倍だったので賑やかだった。

 私はカラータオルは嫌いで、いつも白いタオルを持参しているが、その大半にホテルや温泉旅館の名称が入っている。

  お気に入りの温めの湯に入って何気なく目に留まった文字が、23年の秋に九州の友人夫妻と共に行った指宿温泉「白水館」のもの。持病の腰痛に「砂蒸し風 呂」に効果があるのではと期待して行ったのだが、1泊目の夕食時に会社から電話があり、幼馴染のお姉さんのご訃報を知り、連泊が叶わず葬儀に間に合うよう に新幹線で大阪へ戻ることになったので忘れられない。

 脱衣場で乾いたタオルを手に確認すると、一昨年に3回行った「鳥羽シーサイドホテル」のもの。建物を増設する度に大浴場が増え、全く異なる雰囲気の大浴場が3箇所もあるのが魅力であった。

  振り返れば様々な地へ出掛けた。九州だけでも随分と行っている。青島、宮崎、別府、城島高原、山下湖、黒川、菊池、杖立、山鹿、玉名、熊本、湯の児、阿 蘇、垂玉、九重、宝泉寺、内牧、日向、雲仙、長崎、嬉野、博多、小倉、中津、門司港、大牟田、南関、荒尾、島原などそれぞれに宿泊した思い出があるが、そ の各地に友人や知人の存在があることが何より有り難いことだ。

 旅館の何気ないサービスに感銘を受け、4回も利用したのが水俣の「湯の児 温泉」だった。随分前に閉館となっていたので寂しかったが、初めて行ったの子供が幼い頃で35年以上も前のこと。「松下館」か「松下楼」だったと記憶して いるが、子供用の浴衣を用意してくれたことが印象に残っている。

 同じ「湯の児温泉」で「三笠館」という旅館を利用したことがあるが、数年前に閉館され、別の会社が全面リニューアルされてオープンしたことを情報誌で知った。

「湯の児温泉」にユニークなホテルがある。利用したことはないが、大浴場に行くのに洞窟のような中を進み、男性用と女性用が別なのに、中間点で交差しているのでびっくりするし、それを売り物にしている宣伝が果たして効力があるのかと考えてしまう。

  新年を迎えると思い出すのは青春時代に毎年行っていた志賀高原のスキー。「石原裕次郎」さんがスキーで骨折されたところとして知られている「ブナ平」だ が、ゆるやかな初心者コースのゲレンデからロープウェーで上がれば上級のツアーコースまであったし、湯田中駅からバスの目的地だった丸池でも何度か滑った ことがある。

 急行「ちくま」という列車もあったし、名古屋と長野間を走る急行「あずみ」という列車を何度も利用したし、名古屋を早朝に出発して大阪まで走る蒸気機関車の準急「彩雲」を利用したことも憶えている。

 当時は網棚に「そり」をぶら下げている人が多い列車だったので気にならなかったが、今では絶対に考えられない行動だし、宅急便なんて一切ない時代だったのだから世の変遷が感慨深い。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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