2012-11-26

函館から東京へ  NO 3111


 旅館のフロントで鍵を貰って部屋に戻り、大浴場へ行くことにして1階へ行き廊下を歩いていると、「湯殿はあちらです」と声を掛けてくれた女性がいた。彼女は整体を施術する仕事のようで、部屋の入り口にそんな看板がイーゼルで掲げられていた。

 旅に出ると必ずマッサージを依頼しており、前日の洞爺湖ではしなかったこともあり、部屋名を告げて私の要望からだと電話を入れてくれるように頼んだ。

 そのまま大浴場に向かったが、ゆっくりと入っておれば部屋に戻った頃に私の番となるだろうと考え、のぼせないように気をつけながら時間を過ごしていた。

 着替えて廊下を通ると、彼女のいた部屋の明かりが落とされている。間違いなく私の部屋に行ってくれたようで、どんな整体施術アなのかと期待しながら部屋に戻った。

 妻が心地良さそうに施術を受けている。コースは40分ぐらいだっただろうか、しばらくすると私の番になって始まったが、単なるマッサージと異なってうつ伏せになる状態で受ける形式だった。

 大病で片方の声帯を失った私、オヤジギャグみたいで恐縮だが、「整体」師さんと話すことも「声帯」のリハビリであり、旅行での体験談や入院生活について面白おかしく話していたら、「もう終わりの時間!?」という感じで施術が終わった。

「初めてお聞きしたお話ばかりで、最高に楽しい時間を過ごさせていただきました。お客様は普通の方ではございませんね」とお世辞を言ってくれた彼女だが、施術に関する技術も中々のもので、旅ならではとなる風呂上りの至福のひとときを過ごさせて貰った。

 早朝に目が覚めて大浴場に行ったが、ここでも男女の浴室が変更されている、昨日には暗い中であまり気付かなかったが、庭園の木々の色付きが鮮やかだが、それらが強い風で揺れており、かなり激しい雨が降っており、飛行機が休航にならないだろうかと心配になった。

 朝食は食事処だったが、ここでの「御飯」が特別に美味しく、やはり日本人は炊き立ての御飯が何よりだと再認識した。

  昨日のタクシーが玄関に到着、お世話になっている方が助手席に乗られ、五稜郭に向かった。道中の車内で運転手さんから江戸時代から幕末、維新にかけての函 館の歴史を伺い、そんな知識を頂戴して五稜郭のタワーに上がったが、折悪しくの雨に煙っていても、そこから見渡せる景色が素晴らしいし、好天なら津軽海峡 も見渡せるそうだが、あちこちに展示されている様々な資料掲示を読みながら、昔の人は偉かったという歴史を学んだ。

 私の職業に関する「そうだったの!」という事実も知ることになった、アメリカからペリーが率いて来た一連の黒船事件だが、当時はそれを恐れて葬儀は夜間に男性だけで行われていたそうだ。

 パンフレットを見ると、「幕末の見果てぬ夢の象徴」という言葉が表紙を飾っていたが、五稜郭誕生のきっかけは、黒船来航に端を発し、明治の時代を迎えるまでは「箱館」と称されていた事実も知った。

「武田斐三郎」「榎本武楊」「土方歳三」などの人達が、この地の歴史に欠かせない背景ががあるが、この塔のある公園は桜の名所としても知られており、そんな花の季節にもう一度訪れてみたい思いを抱いている。

 高所恐怖症から地上が見える「シースルーフロア」には近づけなかったが、何回か函館に来たことがあるが、五稜郭に上がったのははじめtのことだった。

  前日、函館山から夕食会場に向かう道中で案内をしてくださった「聖ヨハネ教会」「函館ハリストス正教会」「カトリック元町教会」に異国情緒を感じたが、湯 の川温泉から抜けたところの高台にある厳しい戒律で知られる「トラピスチヌ修道院」経て函館空港に向かい、いっぱい甘えさせ貰って恐縮しながらおわかれし たが、もう一度訪れた思いが生まれていた。

 せっかくだから「北海道ラーメンを」と空港内の店舗に入り、「しょうゆラーメン」を食べたが、機内に着席してして東京に向かって離陸すると、すぐに「鮨よしたけ」の散らし寿司が出されたが、もう入らない状態になっていた。

 東京行きの飛行機は「ボーイング777-200型機」だったが、400名以上の搭乗が可能という大型機、何事にも時間が掛かるが、。それも仕方ないだろう。ただ揺れないことを願いながら離陸した。

 モニターに地図が映し出せれ、対地速度、外気温、速度などの情報が出ているが、離陸から着陸までの時間が「1時間12分」と出ていたのにはびっくりだった。

久世栄三郎の独り言(携帯版)
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