2007-04-15

思い始めたこと  NO 1835


 高齢社会になり、ご夫婦それぞれが入院をされているケースも多くなっている。病気によっては互いが入院する病院が異なっていることもあるが、出来たら診療科目の多い同じ病院でありたいものである。

  そんなケースで互いの部屋を訪問している内は元気な状態。車椅子で動ける場合にもそれらは可能だが、両者とも重体に陥ってしまうと家族も大変。互いから 「爺さんは?」「婆さんは?」という質問をされると段々と対応が難しくなり、ある段階から「誰にも心配を掛けたくない。感じさせたくない」との思いから、 役者のように芝居を演じることもあるだろう。

 昏睡状態なら無理だが、ベッドでの会話が可能な場合、伴侶が先立ったことを敏感に感じてしまうもの。どう演じても察せられることになるのが長年連れ添ってきた夫婦の絆だろうが、行われる葬儀の参列が叶わないのが寂しくて何より気の毒なことである。

  随分と昔の話だが、ある葬儀のご依頼で遠方まで参上したら、応接室に通されるなり喪主様から上述の問題提起があり、ある会社の会長さんのご逝去で同じ病院 に奥様がご入院、医師から1ヶ月の余命という宣告を受けられたそうで、誰にも知らせずに完全な密葬。そして母が死を迎えたら同じように密葬を行い、お二人 一緒に本葬儀を執り行うということがあった。

 ご主人を追われるように奥様がご逝去されたのは、それから2週間後だったが、会長の満中陰の日を社葬本葬儀の日に決定され、お2人のご遺影を並べた葬儀が行われた。

 皆様への通知状や新聞の黒枠広告にも事情を明記、ご夫婦の絆の深さを前面に出し、それが家族一同の最後の親孝行というシナリオで進めていた。

 こんな場合、祭壇に向かってどちらにご遺影をお飾りかするべきかが難しいところで、なるべく正面を向かれるお写真ではなく、ちょっと斜めにポーズを取っておられる写真を選択して向かい合わせる配慮が何よりで、たくさんの写真から選ぶ作業も大変になる。

 お2人ご一緒のご葬儀を担当した経験は数十回あるが、最も悲しかったのはお母さんと幼い子供さんとの事故の時。その葬儀はやるせない心情に堪らず、式場であったお寺の駐車場の片隅に停めた車の中で泣きながらシナリオを作っていたことを憶えている。

  一方で、社長と専務が事故死されたという不幸この上ない社葬体験もあるが、こんな場合に行われる「**家」「**家「***株式会社」の合同葬は大変で、 プロデュースをしっかりとやらなければとんでもないことになってしまい、僭越だが礼節と謙虚を失わないように配慮しながら、積極的にコンダクターの役割を 進めなければ収集つかないお葬式になる危険性がある。

 そんな背景に両家の宗教の異なりも表面化してくるし、全国からやって来られるご親戚の人達がそれぞれの地の慣習を持ち出されることも多く、トラブルが発生しないように神経を磨り減らす仕事になるのである。

 そうそう、若かりし頃に忘れらない哀しい葬儀があった。結婚を約束していた恋人同士、男性が交通事故で亡くなってしまい、その葬儀が終わってから数日後に女性が悲しみにたえられず発作的に自ら命を断たれてしまった。

 その葬儀、ご両親が見せてくださった遺書に書かれた文章の「先立つ不幸をお許し・・」を目に、<それは違う。先立つ不孝だ!>と思ったことも若かったからだろう。

 様々な葬儀を担当して歴史、そんな私も2人の孫を有するようになって葬儀に対する考え方が大きく変わった。もう少し生かされることを願い、孫達の心に「爺ちゃん」の存在を忘れないよう印象付けてからと思うようになった。
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