2007-04-10

職業病?  NO 1830


 一日休載となった。微熱に咽喉の痛みとなれば風邪の症状だが、点滴や薬で改善せず、<!?>と思い出したのが2年前のこと。咽喉の激痛から耳鼻咽喉科に行ったら「すぐに入院しなさい」と赤十字病院を紹介されたことだった。

 何やらあの時の状態に進みつつあるよう。<このままでは!>と、朝から耳鼻咽喉科に行った。

 医院で風邪の診断を受けて服用している薬の説明書を持参、それを確認された先生が「咽喉が原因です。三日分の薬を出しますから」と言われ、風邪の薬は咽喉が治癒するまでストップしなさいと指導を受けた。

 幸いにも2年前の段階まで至っていなかったが、このまま放置していたら数日後に同じ轍を踏むところだったみたいで安堵。

 これまでの人生で咽喉を酷使してきた歴史がある。誰も知らない鍛錬もやった。それで華甲の齢を迎えてこの声なら神様に感謝をしなければならない筈。これからは声帯、生態、整体の三つを大切にしようと考えることに。

「爛漫と咲き誇る桜の花が一輪一輪と散りゆく風情に・・」なんてナレーションのシーズンだが、何処かで読んだ文章の中に「桜の花を空から見ると灰色に見える。桜は下から眺めて貰うように咲いている」というようなことがあり、強く印象に残っている。

 ニュースで「花見のマナーが悪化」なんて報じられていたが、酔っ払って迷惑を掛ける姿ほど醜いものはなく、もっと風流に花見を楽しんで欲しいものである。

 桜の花は、泥の池の中に美しく咲く「蓮の花」とは異なる存在のようだが、人の世は自然の世界で学ぶことの多いことを知りたいもの。

 桜、蓮、そのどちらからも「命」について考えていただくことがあれば何より。その美しさの中に諸行の無常や哀しさを感じることこそ「人」の意味につながるように思えてならない。

 この「独り言」の中に、これまで「戦争と宗教は人を変える」と何度も書いてきたが、危機感を抱かなければならない地球環境問題を含め、我が人間達が絶滅に至る道を歩んでいることを学び、花見の行動で桜の木を傷めていることがどれほど多いかも知りたいもの。
生活する周囲に「命」がいっぱい存在するのである。

 今、イラクの首相が来日しているが、ニュース解説の中で改めて宗教の争いの愚かさを感じた。何のために宗教が存在するのか、この世に宗教が生まれたプロセスを学ぶ必要性を考えたい。

 人間とは愚かという結論。そんな悟りに目覚め、その救いに宗教が誕生したとすればあまりにも哀し過ぎるではないか。宗教とは「人の生き方」を説いたもの。説く立場にある人達が原点に立ち返って学ぶ必要があるのかもしれない。
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