2007-03-04

終焉の情景  NO 1796


 夜遅く、黒の礼服姿で暗い商店街を歩いていると知人の女性に会った。「よかった。こんな偶然もあるんだ!」と言って始まった立ち話、それは入院されているお父さんの状況報告。

「あなたに電話をしなければと思っていたのよ。家族を呼んでくださいと言われて夕方から今まで病院に居たの。もう、覚悟しなければいけないの。でもね、みんな後悔はしていないの。あなたに教えられ、みんなで残された時間を父のために費やすことが出来たから」

 そんな会話があり、「真夜中や明け方でもいいのね?お願いよ」とのお言葉で失礼したら、すぐに戻って来られて「パニックになったらいけないので、念のために名刺を」と言われた。

 最近、こんなやりとりが増え、名刺入れの補充を忘れないように気をつけている。

 事前相談が多くなってきているのは全国的な傾向のようだが、「Xデー」に備えられる心の準備は大切なことだし、前にも何度か書いたが、葬儀を終えてから発生する悲嘆心理の軽減につながることを知って欲しいところである。

 事前相談イコール費用相談みたいな誤解もあるが、決してそうではなく、上述のように「残された時間の過ごし方」こそ何より重要。アドバイスから、そこに気付かれた方々から感謝をされたことが多い。

 弊社のHPのリンクページ、その中から訪問可能なメンバーや塾生達のページ、そこには日々の仕事の中で学ぶ家族の絆や別れの悲しみが綴られているが、今日も故人が遺された手紙のことが記載されてあって感銘を受けた。

  また、「病気と寿命は異なる」という格言を手術入院で<なるほど!>と体験した私だが、ある団塊世代の男性が入院中にいつもその言葉を発せられ、ご自身や ご家族を励まされていたそうだが、亡くなられた際に病室を片付けている時にメモが発見され、そこに「病気と寿命は異なるそうだが、それは完治した人だから 言える言葉。私の病気では無理。ああ、死にたくない。神様がいるなら助けてください」と書かれていたそうだ。

 病室で百数十人の方に感謝の手紙を書かれ、それを死を迎えてから郵送して欲しいと遺言された方もおられたが、こんな方にはカーテンコールを贈りたくなるのは私だけではないだろう。

  人の人生は様々だが、死や葬儀も様々だ。そこにはその人だけの人生凝縮ドラマがある。「畳の上で!」という日本人的な心情もあるが、病室の白い天井を見な がら自身の終焉を悟った時、側に誰がいるかを想像することは大切なこと。そこで後悔することのないような人生でありたいではないか。

 医師と看護師さんだけに看取られたというのは「不幸」ということになるのでは?
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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