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2005-03-06

名人?  NO 1088


 特別な方々とお食事をご一緒し、11時過ぎに帰宅して打ち始めたが、日付が変わらない内に発信できるように頑張ろう。

 朝、友人の喫茶店に立ち寄ったら「久し振り」とお声を掛けられた。

 町の重職を歴任されていたお方、体調を崩されてから全てを辞任され静養中だが、酸素ボンベを詰んだカートを手にされる光景が痛々しい限りだった。

 昨年にご退院された際、お勧めしたのがパソコンでネットを開かれること。やがて購入されてケーブルテレビで接続されていた。

 「社長、ちょっとネットの調子がおかしいようで困っているのだけど」というご質問、私は文字を打つこととネットを開けることしか出来ないパソコン・オンチ。返す言葉に窮するのは当然だった。

 そこで社員に応援を求め、出社してから電話でご在宅を確認し、男女2人のスタッフを車で走らせた。

 戻ってきた社員によると簡単なことだったそうだが、しばらくするとお電話を頂戴し、えらく感謝をされ恐縮してしまった。

 喫茶店のマスターの話によると、地域で何と私がパソコンの達人と呼ばれているそうではないか!? それは「独り言」をご笑覧くださる方々の口コミで広がった誤解なのだが、何やら世間を狭くしているみたいに感じ始めた出来事だった。

 私からすれば、弊社のスタッフ全員がパソコンの達人だが、そんな彼らが「あの人は凄い」という人物が協会メンバーの中に数人存在し、何度も来社いただいてご指導を受けた歴史がある。

 そんな光景を眺めるだけの私、未だに画像処理なんて不可能だ。

 それなのに偉そうに注文を付ける。「もっと文字を小さく」とか「上下の写真を入れ替えろ」なんて喧しく口を挟み、<嫌われているだろうな?>と思っている。

 個性や感性を活かすことは素晴らしいこと。でも自己満足の世界に突入してしまっては問題がある。いつも客観的に判断することが大切。

 メモリアルボードに打ち込む言葉、いかに文字数を少なくして伝達力を強くするかが重要で、そこに求められるのが説得力となってくる。

 誰がご覧になっても「当たり前」の解説ではプロでない。お孫様を抱かれた写真に「お孫様とご一緒に」なんて言葉は以前の問題。皆さんが「なるほど!」とご理解に至るキャッチコピーが難しい。

 「命の伝達」は、こんなところにも光る言葉である。葬儀に於けるナレーションでも、決して美辞麗句ではなく「そうだよね」と皆さんが共感される言葉を考えたい。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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