2016-03-28

黄昏を感じながら  NO 4807

竹葉新葉亭のリンゴの木前号の稿は午後8時頃に書き上げていたものだが、まぐまぐブログの草稿に取り組んでいる内に気が付いたら日付が変わってしまっており発信が遅くなってしまった。

気の早い方は「また、入院?」なんて誤解をされたかもしれないが、不自由な隻眼でこの稿を打ち込んでいますのでご安心を。

何度も入院した体験があるのでもう入院することだけは遠慮したい。そこで食事にも気を付けているが、幾つかの好物を避けなければならないので寂しい限りである。

杖を手に出来るだけ歩くようにしているが、フラフラ感が著しくなり、目の調子も悪くなって来ているので上下間を誤って躓く危険性が高まっている。

冒頭に書いた「まぐまぐブログ」の原稿の中に「動ける内に」「見える内に」というよな内容にも触れた。病室で自身の生涯の終わりを悟った時に後悔する第1位は「あそこへ行きたかった」という「旅」だそうで、これからの人生黄昏はあちこちに出掛けようと考えている。

60代を迎えてから2回の海外旅行もあったが、これはもう無理である。まだパスポートの期限は残っているが、外国で客死なんてことになったら最悪だし、入院ともなったら想像を絶する高額な医療費のことも心配になる。それ以上に避けたいと思うのは言葉が通じないということだ。自分の身体の苦痛を外国人の医師や看護師さんに伝わらない病室の光景を想像するだけで寂しくなる。

死を悟ったら伝えたいことを書いてそれぞれに手紙で託すことがよいそうで、自身の心の苦痛を緩和出来るとある専門家が書いていたが、ブログの中には「臨床宗教者」のことにも触れておいた。

「まぐまぐブログ」は有料なので登録されている人しかご笑覧出来ないが、この「独り言」では書けないことも掲載することがある。限られた方々に表面化出来ないことを書くのもその世界の特徴であり、草稿は大変だがこの世を出立するまで続けたいと思っている。

会いたいから来阪すると言う人達も増えているが、私があちこちへ出掛ける予定だとメールで知らせると驚いている。この年齢になって友人や知人達を驚かせることも楽しいことだ。「大丈夫ですか?」と返信して来ることも多いが、行動予定を書いて送信すると更に驚くので面白い。

「動ける内に」「見える内に」という言葉は人生黄昏で重要なことで、心残りが少なくする行動を続けたい。何度も書いた「会いたい」「見たい」「食べたい」「生きたい」という欲望は許される筈。それがなくなって「あの世」に「往きたい」「逝きたい」となれば終焉である。

「幸せ列車」の中で昨年の7月7日から始めた「短編小説 女将シリーズ」も過日の風邪によるダウンを除いて毎日更新中だが、近い将来に1冊の本として「この世」に生かされた「証し」を記したいと考えている。

北海道新幹線も開業した。一度は利用してみたい思いもあるし、お気に入りである函館の湯の川温泉「竹葉新葉亭」にもう一度行くことが出来るだろうかと考えている。

前回利用した際の朝風呂の大浴場ではびっくりだった。前日の気象情報で爆弾低気圧接近中と知っていたが、ガラス越しに見える庭園の木が揺れている光景は恐ろしかった。その庭園にあったリンゴの木から多くのリンゴが落ちてしまっていたので寂しかったが、それを見て思い出したのがその1年前に大浴場で体験したことだった。湯船に幾つかのリンゴが浮かんでいたことだった。

今日の写真は昨秋に「竹葉新葉亭」の部屋から中庭を撮影した1枚だが、台風並みの強風でこちらのリンゴの木も多くのリンゴが落下していた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net