2004-01-13

歴史のお話   NO 668

今日は「ピース記念日」だそうだが、全国的に強風が吹いた荒れ模様で、突風による思わぬ被害が報じられていた。

 大陸からの季節訪問者である寒波だが、そんな中、ある若いお寺さんと、大陸から伝わってきた音楽について有意義な時間を過ごすことになった。

 彼の趣味は「雅楽」で、「笙」に魅せられている人物である。

 雅楽と言えば宮内庁雅楽部が著名だが、関西では四天王寺の雅亮会が有名で、フェスティバルホールで開催されたコンサートに何度か行ったことがある。

 彼は、歴史にも造詣深いようで、初めに「日本書紀」のことを話し出した。

「日本書紀の文中に出てくる『楽』を何と読むか知っていますか?」と質問され、「がく」「らく」ではないようなので「さあ?」と答えると教えてくれた。

 「楽人」と書いて「うたまいのひと」と読むそうで、「うたまい」、つまり歌と舞というのが正解だった。

 雅楽の世界から音楽活動を始められた東儀さんの活躍で、雅楽の一部の楽器の音色を耳にするようになってきたが、それまで、一般の方々には「宮中」のイメージと神前結婚式ぐらいしか浮かばなかった筈。

 そんな雅楽は、朝鮮半島を経て日本に伝来した大陸の音楽。彼の話の中に、「新羅」や「百済(くだら)」という地名が登場したので、浅学な私は、ふと話の骨子を折り曲げてしまうように、つまらないことを持ち出してしまった。

 私の隠れ家から自転車で5分ぐらいのところに、「百済」という地名がある。中学生の頃まで、ここで折り返し運転される市電の存在があり、四天王寺、恵比須町、芦原橋、桜川から福島西通りまで走っていた。

 「えっ? 市電なんて走っていたのですか?」

 低次元な話題で、肝心の話の腰を折ってしまったが、ちょっとだけ溜飲を下げるような思いを抱いたところで脱線に気付く。

  彼の話によると、西暦552年に百済の国から楽人が到来し、我が国の雅楽が始まったそうだが、私は、四天王寺にゆかり深い聖徳太子が仏教を広めるために雅 楽を奨励されたと知ってはいたが、それよりも昔に伝来していたとは驚きで、ふと、昔の1万円札のイメージが浮かんできた。

 推古天皇、聖徳太子、天武天皇の話題も拝聴したが、「伎楽(くれがく)」「唐学」「「天竺学」「林邑学(りんゆうがく)」など、日本の雅楽が様々な国の音楽で形成されてきた歴史は文化そのもの。

 そうそう、「高麗楽(こまがく)」という言葉もあったが、中国と朝鮮の音楽を左派、右派と分けていた事実も面白かった。

 どんな世界にも歴史があるが、彼の話に「温故知新」の言葉を思い出しながら、再会を約束して帰ってきた。

※・・今日の写真は、「花だけでシンプル」にと要望された方の葬儀から。
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