2004-01-06

ペットの悲しみ   NO 659

 今日は「小寒」、カレンダーに「色の日」とある。1と6の語呂合わせで思い出したのが小学校時代に聞いた大人の会話「一六銀行」、つまり「質屋さん」のことである。

 そんな庶民の暮らしに重宝がられていた質屋さん業界も様変わり、今や社会は「サラ金」CMのオンパレード様相にある。

 質屋さんからサラ金に転出、誰もが知る大手「サラ金」企業になった会社があるが、その創業者の「偲ぶ会」をホテルで数年前に担当した際、数回の打ち合わせでそのパワーの凄さに驚いた。

 そして、本番。ある大企業の社長が奉読された追憶の言葉、その中に登場した売上高に営業利益の数字、それは、我々の感覚では想像できない桁違いの金額だった。

 さて、新聞広告の映画館のページを見ると、「最後の恋、初めての恋」「すべては愛のために」というタイトルが目に入った。そんなところから、今日は「愛」に関することで。

 写真は、我が家の扶養家族である猫2匹。左側のパンダ柄の猫だが、事務所の近くで生まれたばかりの状態で拾われてきた。哺乳瓶や湯たんぽを買ってきて、しばらくスタッフたちがマスコットとして面倒を見ていたことがある。

 それが、今、こうして我が家にいる。そうなった背景には秘められた物語がある。

 それは、一人の女性スタッフの入社が発端。ビデオ映像や遺影の編集に不可欠なパソコン技術。大きく変革する葬祭サービスの最先端ソフトには、昨日のメモリアルボードではないが、限られた時間でプロ技術を発揮したいもの。

 そんな技術を持した女性スタッフの入社が決まったのだが、彼女は、敏感過ぎるほど猫アレルギー。そこで我が家に引き取ることに。

 この原稿を打つ机の下で2匹が寝ている。専門家に聞いた話によると、猫は1日に16時間も寝るとのこと。

 こんなに大きくなった猫だが「悪さ」がひどく、お陰で家中の壁、障子が無残な姿。そんな猫に「悪子」と命名している。

 犬や猫を可愛がっておられた方の葬儀、そこで不思議な光景を見ることも少なくなく、悲しそうな泣き声で見送った犬を何度も見た。

ある葬儀で、設営した祭壇の下に猫が潜り込んだまま出て来ず、餌を一切食べないということがあった。私は、通夜の導師の鉦と木魚の音で飛び出すと予想し、お寺さんが驚かれるハプニングを避けるため、そっと耳打ちしておいた。

 しかし、猫は一切姿を見せなかった。お寺さんが控え室に戻られた後、祭壇の奥に安置された柩の下を見るとそこにいる。じっとうずくまって悲しそうな目。

<命って、死も悲しみだって動物にも分かるんだ>と勝手な解釈をしてウルウルきてしまったが、その後に家族から伺った故人の自宅での闘病生活、そこでの猫の行動、それは、言葉で表現できないような感動の物語で、「愛」という文字の絆の深さを学んだ体験であった。

 少なくとも、自身の死をペットが悲しんでくれるような終焉でありたいなと思いながら、動物好きの皆さんにこのページを捧げます。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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