2004-01-09

シンプル  NO 662

カレンダーを見ると、1月8日は「勝負事の日」とある。「一か八か」ということからだろうが、昔から「一か八か」の賭けに勝ち目が薄いのは誰もが知っている。

 しかし、時には大当たりもあり、そんな考え方の勝負事の歴史が止まなく続いているとも言えるだろう。

 前にも書いたがカレンダーには、それぞれ特徴がある。大安を赤枠にしたもの、友引だけに枠を書き込んでいるものなど、その業界に合わせて便利なように工夫がされている。

 どれにも共通しているのは「六曜」と、立春や立冬がある「二十四節気」。「易学」型なら「二十八宿」や毎日の運勢まで記載されてある。

 明治初期まで暦は「お上」の占有だったが、民間に解禁されてから「売るがため」の知恵を競い、「六曜」までも復活させ現在に至っている。

 ある暦を読んでいると、「迷信は恐怖と弱さと智の子供である」と書かれてあり、人それぞれに解釈が異なるだろうなと推測する。

 一方に、女性から反発されそうな表記があった。「夫は才知あり、妻に忍耐あるは家内安全のもとである」だが、「格助詞」の使用法に誤りがあるように思ってしまう。

 また、<これはいい>という格言もあった。「機会が人を見捨てるよりも、人が機会を見捨てる方が多い」だが、「機会」が「機械」のように感じられ、IT社会の将来の暗雲を物語っているような気がした。

 世は占いブームのよう。商店街の活性化を目的にして、空き店舗に占い関係者を誘致、「売らない」と「占い」を引っ掛けた面白いコピーもあったが、人生を占いに託すようでは情けないのは確か。

 過去を振り返り、「占い」で人生を誤ったなんて後悔はしたくないもの。

 かつて、お釈迦様は「四苦八苦」を説かれた。人は、誰もが自身の将来に興味を覚えるが、昨日に書いた地震ではないが、その予知さえ出来ない人間社会。占いに左右されるようでは身を滅ぼす。占いは、自身の心を「売らない」という趣味の範囲で止めたい。

 生老病死は定めなり、愛別離苦も世の習い。「八苦」逃れに「八卦」が役立てば幸いだが、そんなところから今日の写真は、お寺様の葬儀。これまで多くのお寺様の葬儀を担当させていただいた。

 お寺様の葬儀はシンプルそのもの。無駄なものは一切なく、絢爛華美はご本尊の荘厳世界だけ。

『葬儀って、何だろう?』 そんな「?」をお感じいただければ幸甚です。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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