2004-01-11

悲しみの共有   NO 666

鏡開きの日である今日は、「塩」の日でもあるそうだ。

 葬儀に付き物である「清め塩」だが、浄土真宗の教義から「当宗派では清め塩を用いません」という運動が強化され、我々葬祭業者も協力する姿勢となっている。

 「清め塩が入っていなかった。縁起でもない」なんてクレームの電話が多く、その旨を伝えるための張り紙掲示やメッセージカードの添付を行ってきたが、まだまだ全国的に理解されるには至っていないようだ。

 「会葬者それぞれの宗教が異なる」「日本的な慣習ではないか」

そんな皆さんのご意見が多くあったが、我々業者は宗教者に忠実。しかし、他宗の宗教者には不評であることは事実だ。

 清め塩について論議すれば大変なことになり、100日間「独り言」で書いても解決できない複雑なものがあるので割愛するが、つまらない迷信や慣習に踊らされることは愚かだと、親鸞様が説かれておられた。

 さて、今日の写真は「社葬セミナー」の光景だが、意外に出席者が多いのにはいつも驚いている。

 私の講義で特徴的なことは「無駄を省く」ことと「意義を重視する」こと。出席者の中には他社が主催されるセミナーを受講された方も多く、「社葬はイベント、盛大に」という業者側利益第一主義の姿勢との違いにびっくりされる。

 弊社の社葬は、オリジナル形式。特に創業者を送られる場合に歓迎と賛同を頂戴する。そこには礼節を重視して生まれた「儀式」が組み込まれてあり、無宗教形式であっても完全な「儀式空間」が創造され、そのコンセプトにある「命の伝達式」が生きて来る訳である。

 一方で、昨日、弊社の女性スタッフがお寺で行われた家族葬を担当していた。

「できるだけ費用を抑えてあげてね。お布施もお気持ち程度でいいから」とお寺様がおっしゃったそうで、見積もりが済んで帰社すると、「赤字になりました。人件費はご奉仕です」と言ったが、その表情に明るさが感じられる。

 それは、今回のお客様に「何とかしてあげたい」という心情の表れ。彼女がミス・ホスピタリティと称される所以であろう。

 そんな彼女、「お寺様のお人柄が素晴らしいのです」とも語ってくれたが、そんな方との出会いがやさしさを育んでくださるように思っている。

 お金がなければ物が買えない社会だが、不幸な方にも「不幸」が訪れる。「これだけしかないのです」、そんなお客様も少なくないが、目の前にこの世を去られた人がおり、その周囲に悲しむ人がいる。それをビジネスとして割り切ってしまう葬儀社にはなりたくない。

 赤字の葬儀も葬儀社の宿命。「すみません、今日のお葬式、赤字になっちゃいました」

 そんな言葉を明るく伝え、誇りにしてくれるような社員がいる弊社。それこそ社名の「高級」という文字の意味なのである。
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