2004-01-09

あたたかい   NO 663

昨日の写真、どうもサーバーに問題があり送信できなかったよう。お寺様の葬儀の祭壇写真は、近日中に掲載いたします。

 <ひょっとして、今日も写真が送信できないのでは?> そんな心配をしながらエンターボタンを押しますが、掲載されなかった場合、これも近日中ということでなにとぞお許しくださいますよう。

 (もし、今日の写真掲載があれば、これは、ご家族の方々から伺った故人のご要望を「かたち」にした祭壇で、参列された方々から好評を頂戴したものです)

 今日は「とんち」の日、一休さんの語呂合わせということだろうが、大阪では商売繁盛で有名な「えべっさん」、不景気風を吹き飛ばすかのように、明日の十日戎を前に多くの参拝者があったと聞いた。

 今日の葬儀を終え、南海線の羽衣の近くで行われたライオンズクラブ新年家族会に出席、第一部の今宮戎神社参拝に行かれたメンバーが多く、それぞれが「笹」を手にされていた。

 さて、毎日新聞朝刊の社会面を見ると、「雪が舞ったあの日 両親は熱い骨になり 暖めてくれた」という見出しが飛び込んできた。

 これは、阪神大震災の鎮魂歌集CD「神戸の壁の歌」に収録された「親って」の詩。「神戸の壁」近くに住まれ、震災で両親を亡くされた山下都子さんのご体験。次の詩が掲載されていた。

  『実家は倒れ焼けました 両親をさがしましたが 見つかりません 二日目に 寝ていたところで 二人並んで見つかりました お骨を安置所に持っていきまし た お骨は私を あたたかくしてくれました 親って 親って やさしい やさしい 親って やさしい やさしい お骨は私を あたたかくしてくれました  お骨は私を あたたかくしてくれました 寒い朝』

 山下さんのご両親は、焼け落ちた瓦礫の仲から発見されたそうだが、紙袋に収骨されて検視を待たれたという。 

もうすぐ、震災の日1月17日がやって来る。イランでも多くの犠牲者があったが、天災とは未曾有の恐ろしさで悲しみをもたらしてくるもの。

 「神戸の壁」は、延焼を食い止めるため、先人たちが1927年に建設された防火壁。今は、市内3箇所で震災モニュメントとして残されているという。

 不謹慎な比喩で恐縮だが、「お骨」のことで思い出したことがある。それは、離婚して数年が経って亡くなられた男性の方の葬儀のこと。

 お母さんに引き取られた娘さん、葬儀での親族焼香も叶わず火葬場での「お骨あげ」にお母さんと立ち会われた。

 親戚の方々が皆さんで拾骨されている際に後方に下がり、先に納められた本骨袋を「ちょっとお持ちいただけませんか」と内緒で娘さんに手渡した。

 それは、10数秒の時間だったが、駐車場までの道中で、「お父さんって、あたたかかった」と私に言ってくれた娘さん。横におられたお母さんが「有り難う」と言われた涙声、今もはっきりと覚えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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