2007-02-13

今日のニュースから  NO 1776


 大海の中に漂流する救命ボートに3人の姿、それを発見して無事に助けられたニュースを目に<よかった!>と拍手をしていたら、別のニュースで衝撃が。

 常盤台駅交番の警察官、多くの人達の祈りや願いも叶わずに逝去されてしまったそう。ただ静かに手を合わせ、人生寿命の複雑な悲喜に不思議を感じることに。

「被害者になるな。加害者になるな!」が私の人生哲学だが、人は、いつ被害者になるか分からない危険がいっぱい。落石、崩壊から車や船舶での事故まで「遭う」という文字に悲しい定めがあるように思えてならなくなってくる。

 この世に生を享け、何かの仕事に就く人生。「仕事」とは人のためになることを言葉にしたもの。そこが「作業」と異なるところだが、最近は、どうも「仕業」という文字が社会で走り回っているようで気をつけたい。

 警察官の柩が所属管轄警察署に到着、署員が「敬礼」で迎えていたが、そこに「儀式」という意味の重みがある筈なのに、遺族を慰めに訪問した安倍総理がインタビューで名前を間違ったらいけないだろう。

 それらは間違いなく朝刊で話題になるだろうが、単なるミスを追及するマスメディアの姿勢も情けない。「命に係わる場だからこそ軽率はいけない」と位置づけたいものだ。

  女性蔑視発言の揚げ足攻撃がまだ続いているようだが、そんな低次元な議員達のやりとりにウンザリしている人達がどれほど多いか知って欲しいもの。全国紙の 一面がワイドショー化している現実に寂しい思い。社説やコラムの内容がトーンダウンしているように思えてならないこの頃だ。

 顔馴染みのおじさん達の会話に<!?>と思った話題が。ずっと昔の話だと思っていたら現在のことで、今日のテレビの番組で採り上げられていたそうだ。

 子供達の間で「シンナー遊び」が流行していると言う。昔、シンナー遊びで死に至った中学生の葬儀を担当したことがあった。弔問や会葬にやってきた仲間達の顔色を見て衝撃を受けたことをはっきりと思い出すが、もっと衝撃的な現実は「お骨あげ」のことだった。

 憔悴されるご両親のフォローで火葬場まで随行し「お骨上げ」までご一緒したのだが、職員が扉を開けて出されてきた「お骨」の状態を目に愕然とした。

 そこにあったのは、まるで100歳ぐらいという褐色の遺骨。職員も私と同様に衝撃を受けていた。

 肋骨、脊柱などならまだ理解出来るが、本来は白い状態である筈の大腿骨の内側まで褐色になっていたからだ。それらはシンナーという化学物質が身体の隅まで蝕んだという事実を顕著に物語る世界であった。

 シンナーを吸引すると脳細胞を萎縮させてしまい、依存症になると幻聴や幻覚という恐ろしい兆候も見られるそうだが、そうなった時点でその人物の将来は終焉に向かってしまう。それらが麻薬や覚醒剤と同じだと知って欲しいものである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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