2006-11-05

思い出を有り難う  NO 1678"


  友人の割烹に立ち寄ったら奥さんが明日の朝から九州へ行くそう。過去に私が担当したお母さんの葬儀、そのお姉さんが急逝されたとのこと。嘆き悲しむ言葉に 出てきた事実が同じような死に至った病気の様子。医師が「身内に同じような病気は?」と問診される理由が分かったような気がした。

 朝からあちこちの葬儀でバタバタ。あるナレーションが情報不足で未完成、式場に連絡を入れさせ疑問点をチェック、そこから予想もしなかったことが分かって<助かった!>と安堵した。

 昨号の末文に「勝手な思い込み」に触れていたが、それを私自身が犯してしまうところだった。それが事前確認に至ったのは、いつも抱いている<?>の思い。少しでも疑問を感じたら調べる「習性」が「修正」となった出来事である。

今日も「火葬場まで随行を」と頼まれ、霊柩車ではなく別の車で走ったが、腰痛に運転は最悪。道路の継ぎ目さえ恨めしかった。

 そんなところから3分ほど先着しただけ。駐車場から到着口に行くと同時に霊柩車が到着、バスで来られたお客様を中へご案内したら、同時間にご出棺していた別のお客様が。担当スタッフが「時間通りでしたね」と伝えて先に出発して行った。

 何とか自分の責務は終わったが、中途半端な時間に昼食。もう少し遅ければ夕食も兼ねられる時間。終わってホールへ戻ったら明日の準備が遅れている。そこでスタッフ達の手伝いでますます腰に負担が。

 そんな中、ニュースでポール・モーリアさんの逝去を知った。私が若かりし頃、確か21歳時だったと記憶するが、ラジオから流れてきた旋律に心が躍った記憶が鮮やかに甦る。

 それが「恋はみずいろ」という曲だったが、それから多くのレコードを蒐集するファンになってしまった。

 もちろん日本公演にも何度も行った。関東に在住する娘や友人達と一緒にフェスティバル・ホールへ行ったのが最後だったが、今でもその時の光景が浮かんでくるぐらいだ。

中でも「蒼いノクターン」という曲が好きだった。ある葬儀で頼まれて献奏曲として自分で演奏した思い出もあり「数々の名曲を有り難う」と手を合わす。

 冒頭に書いた友人ファミリーも昔からファンだった。みんなを公演に誘ったのは私の仕業、「人生の1ページを刻んでいたことを実感しているよ」という言葉に愛惜の思いを感じた。 

 芸術の世界に携わった人達は幸せだ。死を迎えても作品が残る。特に音楽の作品は人々 の感性に訴えるものが強い。樹木の厚い年輪を刻むがの如く、生かされた自身の歴史に様々な音楽の旋律が残る。音楽とは不思議なものではないか。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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