2008-05-10

幸運だからこそ  NO 2199


 銭湯に行った帰り、暖簾をくぐって表に出たら雨が降っている。日付が変わると降り出すと報じていた天気予報の通りの雨、10日はずっと雨模様のようだ。

 銭湯で着替えを終えてから夕刊に目を通したが、よくぞこれだけ次々に事件や事故が発生するものだとつくづく思う。

朝の通勤時間に名古屋の地下鉄で起きたエスカレーターの事故、誰も予想だにしなかったことだし、全国津々浦々に存在する事実や「動く歩道」のことも考えると恐ろしく、これまで自身が被害者にならなかった幸運を感じてしまう。

 東北新幹線が開通した当時は上野駅発着だったが、仙台へ講演に行くのに上野駅の地下に降りて行く際のエスカレーターの長さにびっくり、昔から地下が嫌いなところから早く地上へ出てくれることを願っていたのも懐かしいところ。

 東京駅から幕張やディズニーランド方面へ行くのにも大変だ。新幹線から長い距離を歩いてどんどんと地下へ降りて行き、発車してから数駅は地下鉄みたいな路線。やっと地上へ出たら横を川が流れているところだが、地震で地割れでもしたら水害の恐れもあるので怖いではないか。

 それにしても名古屋のケースは皮肉なことが。事故発生時間の1時間15分後から定期点検が行われる予定だったそうで、こんな運命の悪戯みたいなことが現実に起きるのだから不思議で恐ろしいことだ。

  事故の確率は限りなく「0パーセント」に近いと分析されている乗り物がいっぱい存在している。航空機、新幹線、エレベーターなどもそうだが、時にはJR福 知山線の大事故のように、人的ミスから予想もしなかった事故につながることもある筈。だからこそマンネリの中に潜む事故の「種」が恐ろしいと思うのであ る。

 我々の仕事にあってもハプニングのようなミスが発生することも少なくない。配車したマイクロバスやハイヤーが事故で到着遅れということもあるし、式の最中に音響が故障したことも実際にあった。

  随分と昔のことだが、大阪府下の高級住宅地の自宅葬の時、開式と同時に音響システムが鳴らなくなった。頭が真っ白になって機材を確認したら、すべてのパイ ロットランプが消えており、電気が流れていないことだけが判明し、配線を辿って式場の中へ入り「失礼します」と小さな声を掛けながら親戚さん達の前から幕 を捲ったら、何と電源が抜けていた。

 その原因は、閉式後に「ごめんなさいね」と仰る若い女性のお言葉から分かったのだが、抱かれていた幼い子供さんが配線を引っ張って抜いてしまったようで、約5分間の静寂タイムについて、責任がこちらに向けられることがなくて安堵した思い出となっている。

  列車自動制御システムの存在があり、運転手さんが急病で倒れても何処かで自動でブレーキが作動するとのことだが、ガラス越しで運転席の見える所にいた乗客 は驚くだろうし、ひょっとしたらガラスを割って運転室に入る人も出て来るかもしれないし、一方で、神経の病んだ人が運転席や車掌室に入り込んでくる危険性 もあり、ガラスを割れないような設備にする方が安全という一長一短という問題もあるだろう。

 高速道路を走行するバスの運転手さんが、急 な体調不良で倒れ、ハンドルにもたれかかってしまった事件が発生したこともあったが、心筋梗塞、脳梗塞なんてことを考えるだけで恐ろしいことだし、セン ターラインだけの対向車線で前方から来る車が居眠り運転や酔っ払い運転なんて考えればハンドルを持ちたくなくなるだろう。

 社会の交通には、「上述のようなことがない」という互いの信頼の原則のうえに成り立っているそうだが、何度も書いたように、今日あるのは間違いなくこれまでが幸運であったのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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