2007-10-23

残念な出来事  NO 2013


 ちょっと横着をしたら風邪がぶり返したみたい。ホット・カーペットの温度を上げ、その上に敷いた布団の中で丸まって寝たら少し楽になったが、昨号は休載となった。

  一昨日、リンク先であるブログ「やさしさにいつでも逢える」の発信者の誕生日だったが、「誕生日とは、お母さんに感謝する日」と言っていた彼女、そのお母 さんが、もうこの世におられらないので寂しい筈。この季節、お母さんのご葬儀の司会を担当した際の出来事が、つい昨日のように思い出される。

 そのブログ、今日の号に金木犀の写真が掲載されていた。それは、彼女の成人式の記念に町の役場からプレゼントされたものだそうだが、町の企画発想に拍手する。

  我が家の玄関にも小さな金木犀があり、「春の沈丁花は『七里香』、秋の金木犀は『九里香』」と言われているように、その香りは独特のもの。そんな金木犀の 香りで思い出すのが私のホーム・コースであるゴルフ場の8番ホール。バックから180ヤードぐらいだが、グリーンの側に大きな金木犀の木があり、ティー・ グランドで香りを確認しながら風向きを読んでいた。

 そのコース、この10年間で2回だけしか行っていないが、金木犀のシーズンになると思い出している。

 さて、伊勢の歴史ある名物「赤福餅」が大変だ。次々に明るみになる不祥事に驚くが、大阪市内の小学校を卒業した我々団塊世代にもショックなことがある。

 団塊世代が小学校を卒業したのは昭和30年代、所謂「3丁目の夕日」時代であり、大半が修学旅行で伊勢に行き、その半数以上の生徒が土産に「赤福餅」を買ってきていた思い出でがあるからだ。

 宿泊は二見、鳥羽などの旅館だが、先生や旅館の人達から「お土産で『赤福餅』か『御福餅』を買う生徒は、どちらかに○を付けて個数を書きなさい」と言われた記憶もあり、帰路の近鉄「宇治山田駅」まで届けてくれるとのことだった。

  そんなところから「伊勢」と言ったら修学旅行で「赤福餅」につながり、大阪や名古屋の駅売店に積まれた昔ながらの包装紙に懐かしさを覚えるのだが、今回の 不祥事は、そんなノスタルジックな時代を崩壊させる残念な思いも抱き、長い歴史だけに責任は重いと感じてしまう出来事である。

 当時、近 鉄は宇治山田駅が終点だった。そこから鳥羽までバスで約30分。そこから「志摩電」と呼ばれていたローカル線で賢島駅まで35分ぐらいだったと記憶してい るが、今ではその賢島駅まで乗り入れているし、スペイン村のある磯部駅まで行くのに伊勢神宮の横から入る伊勢道路を通れば、鳥羽を通らずに20分ほどで抜 けられる。

 この伊勢道路が完成したのは名阪国道の天理と亀山間が開通した同じ年の1965年、私が18歳で普通免許を取得した年、前年に伊勢志摩スカイラインが開通しており<免許を取得したら伊勢へ!>との思いを抱いていた青春時代だった。

 現在は西名阪高速道路で天理まで25分ぐらいで行けるが、当時は国道25号線経由で天理まで1時間半以上も要していた。

 線路も道路も便利になり、どんどん高速化しているが、人の旅とはゆっくりと過ごしたいもの。事故のないように手を合わせよう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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