2016-06-27
あの時のこと NO 4898
シーンの「会長の独り言」を更新。テーマは「感慨」で、昔から続けて来ているコラムやブログについて触れた。
配達された今月号の「ジパング倶楽部」会報誌を開いたら、最終ページに「クロスワードパズルに答えてアンケート調査」に協力したら、ホテルメッツ八戸の宿泊券が当たるとい企画があった。当選は一組2名だけで、「津軽びいどろねぶたマぐ」が5名、特製図書カードが40名となっていた。
ホテル外観とツインルームの部屋の写真と共に朝食会場となっている「浜料理いかめしや烹鱗(ほうりん)」の写真もあったが、3年前に北海道から気仙沼に向かう途中で八戸に立ち寄り、このホテルを利用していたので懐かしかった。
JR系列なので割引対象になっているが、八戸で久し振りに再会する人物が別にホテルを予約してくれていたのをキャンセルして貰ったこともあり、忘れられない思い出となっている。
洞爺湖からスーパー北斗で函館に向かい、湯の川温泉「竹葉新葉亭」でお世話になって「特急スーパー白鳥」で青函トンネルを抜けて新青森で新幹線に乗り換えて八戸へ到着したのだが、このホテルは八戸駅に直結しており部屋から線路が見えていたことを憶えている。
この時の旅はその後に一ノ関からドラゴン線で気仙沼に立ち寄り、気仙沼プラザホテルで1泊してテレビ番組「人生の楽園」で採り上げられた「なにわのたこよし」ご夫妻と再会して来たのだが、東京を経て帰阪した頃から体調に異変を感じ、その後に入院して11日間絶食することになった出来事もあり、旅館の夕食で飲んだ食前酒が影響したみたいで、その3ヵ月前に入院した際に医師から「アルコールは厳禁」と指導されていたのに、ちょっとくらい大丈夫と横着をしたことが祟ったようだった。
その後は一滴のアルコールも断ち、外国旅行でのラウンジや機内でも一切飲まなかったが帰国してから半年後にノンアルコールのビールをグラス1杯飲んだらおかしくなり、また6日間入院する羽目になったので忘れられない。
その後はアルコールを断っているのは勿論だが、大好物の野菜の天ぷらやフライも敬遠する食生活を続けている。
振り返ってみればこの八戸のホテルでも体調不良の兆候を感じていた。列車の旅の疲れだろうと思っていたのが徐々にはっきりとして来て再発ということに至ったのだが、発病を感じたのが土曜日の夕方。それで月曜日まで我慢していたのが悪かったようで、かなり悪化していた事実を検査で知ることになった。
そんな体験からご笑覧くださる皆様にアドバイス申し上げるのは、異変を感じたらすぐに医療機関に診て貰うこと。大規模病院なら救急外来がある筈なので即行動が絶対である。
さて、ニュースを読んでいたら小笠原航路の2代目「おがさわら丸が最後の航海」と書かれていた。初めて沖縄へ行った時に神戸港から利用した関西汽船の「浮島丸」に乗船したのが53年前だが、その後にその船は転売されて「父島丸」として東京と小笠原島に就航していたが、1979年に初代「おがさわら丸」が登場、二代目が最後の航海を終えると三代目の新造船が就航することになった。
午後に行われていた葬儀に参列。担当していた女性司会者が学研都市線を利用していたので昨日のブレーキ故障事故のことが気になり、「昨日のお通夜の帰路は大丈夫だったか?」と聞くと「大変な目に遭って深夜に帰宅することになりました」と体験談を語っていた。
午後5時を過ぎてから還骨法要と初七日法要。それが済んでから同じ会場で今晩のお通夜の設営。恐らくぎりぎりの時間に迫られたと想像するが、最近はそんなケースが多いようだ。
今日の写真はホテルメッツ八戸の朝食会場である「いかめしや烹鱗(ほうりん)」を。