2016-02-29

半世紀前のこと  NO 4781

500系今日も病院へ行って来た。大阪環状線で大阪駅まで行き、地下鉄北大阪急行線に乗り換えて向かったが、昨日に比べると随分と気温が下がっている。風も強くてフラフラしたが、またモノレールを利用することになった。

帰路は通勤時間に重なったので地下鉄線が大混雑。始発駅から座れたのでよかったが、もしもそうでなかったら大変だったと想像する。

モノレールの駅名のローマ字表記に興味を抱いた。万博記念公園」で「BAMPAKU」「KOEN」になっていたからで、千里の場合に名は「SENRI」となっていたからである。

彩都西線に乗り換える万博記念公園の前には太陽の塔がある。これを目にすると思い出すことがある。あるテレビ局からの依頼でスタジオに祭室を作り、祭壇を設けて没になった企画書の供養式を行い、私がその司会を担当することになったのだが、祭壇に供える前に企画書のタイトルを読み上げる次第があり、順に読んで行くと思わず笑いそうになった物が出て来て困惑したからだ。

そのタイトルは「岡本太郎氏とにらめっこ」というもので、こんなことを企画提案する放送作家がいることにびっくりだった。

さて、前号で触れた幹事のことについて書いておこう。小学校時代から立派な体格で、中学校に入ってから体育の時間に行進する時、彼はいつも先頭を歩いていた。

中学校3年生の時だった。秋に行われた体育祭は中百舌鳥競技場が会場で、現地集合となっていた。二つ以上の競技に参加しなければならないということで、私は三段跳びと800メートルにトライしたが、もちろん記録は平凡なものだった。

冒頭で書いた行進とはこの体育祭の入場時のための練習で、よくぞこれほど行進ばかりと疑問を抱く生徒も少なくなかった。夏休みが済んで2学期になってから体育の時間は行進ばかり。内側が立ち止まって外側がそのまま歩いて曲がるのだが、徹底的にしごかれたことが懐かしい。身長の高い順に後方へ並ぶので、彼はずっと先頭だったことを記憶している。

彼の実家のすぐ前に葬儀社があって同学年に息子さんがいたことを憶えている。30代の頃に同窓会で会ったら、彼は葬儀社を後継せずに大手建設会社の管理職になっていた。

その葬儀社と同じ屋号の葬儀社が別の区に存在しており、そこのトップの方とも交流があったので懐かしいが、当時の組合で尽力されていた。そんな人達もすでにこの世を出立された。人が歩まれた後に歴史が残るが、生かされていた証しを残すことも大切なことであり、それからするとこの「独り言」や「シーンの会長の独り言」「まぐまぐブログ」「幸せ列車の各駅停車のコラム」など駄文の列記をしていることは幸せかもしれない。

前にも書いたテーマに関して再度触れておこう。今日は4年に1度の日「2月29日」である。トランプの中の2枚目のジョーカーがある。

トランプには4種類の絵柄がある。それを春夏秋冬という四季と考え、数字をそれぞれ「1週間」と考えると、「4×7×13」で「364」で、ここにジョーカー1枚を足せば「365」となって1年になる。もう1枚入っているジョーカーは閏年にあたると考えれば辻褄が合うのだから面白い。

交流のある友人や知人達にJRの「ジパング倶楽部」や「おとなび」への入会を勧めたら、「あなたのように出掛けることが少ないから」と返されるので、「東京や博多へ1往復するだけで入会金以上を得する」と説明すると驚かれ、入会された方が増えている。

最近によく目に留まる「おとなびWEB早得」は「インターネットによる予約」「列車・席数限定」「期間限定」「7日前間での購入」などの条件が伴うが、新大阪と博多で利用すれば「9180円」なので「6130円」の割引となるし、ジパング倶楽部の場合には「みずほ」と「のぞみ」が適用外になるので「さくら」「ひかり」「こだま」の利用となるが、「おとなび」なら「みずほ」も「のぞみ」も対象になるし、「こだま」ので新大阪と博多間なら「5990円」で「9010円」も割引されるのだからびっくりである。

今日の写真は華々しく「のぞみ」として登場した懐かしい500系だが、現在は山陽新幹線で「こだま」として運転されている。
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