2013-02-13

思い出したこと  NO 3195


 グアムで悲惨な事件が起きていた。被害者になった人に、明日に家族の結婚式出席という人達がおられ、動機不明な犯人の凶行に誰もが怒りを抱かれたものだろう。

 姪がグアムに在住しており、彼女がサイパンのホテルに勤務していた当時にサイパンで行われた結婚式に出席したこともあり、今回の事件が何か身近に感じられて恐ろしい思いを抱き、亡くなられた方に手を合わせると共に、負傷された方々の回復を願い上げる。

 朝から若かりし頃からの友人とティータイム。そこで遠い昔の時代の話に花が咲き、懐かしく思い出したことを書いておこう。

 青春時代、九州を独り旅という行動をしたことがある。土曜日のスキーバスの助手というアルバイトでこつこつと貯めていた僅かな預金を引き出し、ギターケースを片手に4泊5日の行程を組んだ。大阪駅から午前8時台の「特急かもめ」に乗り、一路向かったのは熊本だった。

「か もめ」は、かつて大分や宮崎など日豊本線を走っていたが、私が利用した当時には鹿児島本線経由となっており、記憶では運賃が2500円前後、特急料金が 1000円。因みに現在のグリーン車となる一等は運賃、特急料金とも倍額となり、2割の通行税も存在していた。(現在「白いかもめ」などで人気の高い博多 と長崎を結んでいる列車もある)

 物価も現在では考えられないもの。食堂車でのカレーライス180円、エビフライ330円、コーヒー70円だった。

 到着したのは午後6時を過ぎていたが、予約を旅行会社に任せてクーポン券を手にしていたので安心していた。

 一泊目の旅館は熊本市内にあったが、記憶では夕食と朝食が付いて2500円ぐらい。この旅を思い立ったのは、駅にあった宣伝ポスターに目が留まったからで、開通したという「やまなみハイウェー」を自分で走ってみたいという単純な動機だった。

  次の日、朝食を済ませて国道3号線沿いにある熊本南警察署近くにあった「ホンダレンタカー」に行き、そこで予約していたホンダのスポーツカー「S600」 を借り受け、すぐに出発。57号線を大津から東に向かい阿蘇山の周囲を走り回り、夕暮れに内牧温泉の旅館に着いたのだが、そこで信じられない体験をするこ とになった。

 部屋に案内されてお茶を飲みながら茶菓子を食べていたら、仲居さんが来室。「申し訳ございませんが、団体のお客様の予約で手違いがございまして、別の旅館を手配いたしましたのでそちらに変更願えませんでしょうか」と言われたからだ。

  若い独り旅だったので体よくそんな対応をされたのかもしれないが、それも旅の思い出だと納得をして別の旅館に案内されたが、そこは小さな旅館で6畳ぐらい の狭い部屋だった。しかし、変更という事情からだったのか、夕食は想像もしなかった豪華な内容だったが、病的なほど偏食ということから大半を残すことに なってしまった。因みに記憶する宿泊料金は2食付きで「3500円」だった。

「やまなみハイウェー」はこの内牧から57号線に戻り、峠を上がったところから「瀬の本高原」「飯田高原」「九重高原」などを経て湯布院の手前まで続くのだが、そこをオープンカーでのドライブは予想以上の快適な世界だった。

 3泊目に予約していたのは城嶋高原に新しく出来ていた「別府ニューグランドホテル」で、2食付「6500円」で和室となっていた。

 このホテルは当時の関西汽船が経営していたものだが、その後は何回か経営が変更されている。

 その後も何度か利用したホテルでお気に入りのひとつだが、湯布院があまりにも知られるようになり、城嶋高原を訪れる人が少なくなっているようである。

 湯布院も昔の風情が懐かしい。若い女性達に人気が高いそうで我々団塊世代の好みとはかけ離れてしまった感を覚えるが、幼い子供達を伴って宿泊した昔の「玉の湯」は独特の情緒があったと書いておこう。

 レンタカーは別府市内の営業所で乗り捨て料金を支払って返却したが、「S600」という車は昭和の名車の一台と称されている。

 別府から大阪までは、過日に書いた関西汽船の「るり丸」に乗船。松山観光港を経て天保山まで20時間の大変な思い出として記憶に残っている。
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