2006-12-06

アンパンマンと天使?  NO 1708


 町の相談事で時間が流れ、気が付けば日付が変わってしまっていた。
昨日の葬儀で冷えたのか、腰痛がひどくなった。そこで朝早くから整骨院に出掛け、幸いなことに院長先生が施術治療。「鍼をしましょう」と勧められ、20年振りとなる「鍼」を受けてきた。

 何とか治しておかなければ仕事に差し支えると、開店時間に合わせて銭湯の電気風呂にも入り治療行動に専念、お陰で少しだけ楽になったが、歩く姿がペンギンみたいで恥ずかしい。

 今日は、初孫の満7歳の誕生日。私の古い携帯電話の裏に娘と孫の写真が貼ってある。それは1歳10ヶ月の時に連れて行ったアンパンマン・ミュージアムで撮影されたもの。高知県土佐山田の風景が懐かしく思い出されてくる。

 さて、そんなアンパンマンのキャラクターである「ドキンちゃん」と「ばいきんマン」の絵を今日発信のブログに描いていた塾生がいた。

彼 が担当した葬儀で「4日間振り回された」という体験談だが、他府県から参列された親戚の人達がそれぞれの地の慣習を持ち出して遺族を攻撃されたり、準備し た食事や飲み物の数量が足りないとクレームを付けたりされるケース。これらは多くの葬儀で発生している愚かな事件である。

 そんな矢面に立った塾生、4日間じっと「耐えて」「堪えて」我慢をし、悲しみの遺族に代って窓口となった行動に拍手を送りたくなったが、その葬儀が終わった時、クレームを付けた親戚の人達から「立派で素晴らしい葬儀を有り難う」と頭を下げられて感涙したと綴っていた。

  本物の葬儀を行ったからそんな結果となったと確信するが、たった1時間の葬儀の中でそれらを感じさせるのは非常に難しいこと。ましてや宗教者の存在があ り、数分という限られた時間内に感じさせることは至難の世界、それこそ究極のプロの技術なくして不可能だと断言するところであるが、技術よりもハートなく して成り立たないと知りたいものだ。

 彼は、それを見事に遣り遂げたようで拍手を送る。耐えることは人を大きくすると教えたことを実践 し、会場空間を愛と癒しのハートで儀式空間に神変させ、「こんな葬儀の体験は初めて!」<この人は本物のプロだ!>という体感認識を与え、「失礼しまし た。ごめんなさい」という思いが「立派な葬儀を有り難う」という表現になったと信じながら<よかったね!>という言葉も送っておこう。

 その結果につながったのは「命の伝達」であり、彼は私がくどいほど説いた「孫を持つまでは謙虚に」の意味が少し理解出来たようだと結んでいたことも嬉しいことだ。

 一方で、東京の塾生が葬儀の制服会社のモデルとなり、パンフレット用の撮影を終えたと書いていた。

 2月に全国の葬儀社に配布されるパンフレットに彼女が掲載されるだろうが、それらはネットの中でも見ることが出来る筈で、一般の方々にもご覧いただけるということにもなるだろう。

  振り返れば、弊社の女性スタッフ達もモデルになった歴史があるし、社会リサーチで選出された女性達と葬儀について対談をさせていただいたこともあり、リ フィンという葬儀の制服ブランドが誕生する際に「礼節」と「後ろ姿」がキーワードだなんて暴言を吐いた反省の思い出も懐かしいところだ。

  あれから2年と少し、そんな中で塾生の1人がモデルとしてパンフに掲載される。彼女は塾生仲間から「天使みたいな人」と称される「やさしさ」を有する女 性。発信するブログからもそれらが滲み出ているが、塾生として初めて会った時に<高校生!?>と勘違いをして「失礼ですよ!」と、弊社のスタッフから叱ら れた出来事を思い出した。

 今日、配達されてきた手紙、その中に「あいだみつを」さん作の言葉が比喩として用いられていた。

「一 生勉強 一生青春」だが、日本トータライフ協会のメンバー達や塾生達と交流していると、そんな言葉に相槌を打ちたくなる。それぞれがそれぞれの地で「やさ しい」ハートで悲しみのご遺族に接する光景を思い浮かべ、葬儀に携わる仕事の崇高な誇りを再認識する日となったような気がしている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net