2009-01-25

??0年前のこと  NO 2351


 母の手術は順調だった。全身麻酔から覚めた頃に特有の症状もあったが、年齢的に当たり前のようで安堵、今後は「寝たきり」にならないようにリハビリということになる。

 高齢になると何かの目的か楽しみがないと行動につながることはなく、母の場合には弊社のスタッフ達に「差し入れ」を持参することに喜びがあったようで、手押し車で往復2キロ以上も歩いていたのだから驚き。それが内臓を丈夫にしたようで担当医師も驚かれていた。

 これまで入院したことない92歳の母、新しい法律による後期高齢者の対象なのだが、その患者という立場から考えてみるとおかしな思いを抱き、我が国の行政感覚に寂しさを覚えた。

 昨号で「30年前のこと」について書いたが、昨日の病室では姉達と50年前のことが話題になった。

「お前は不思議な運勢の持ち主だと思っていた」と言われるようなことが何度もあったが、その中の一つが小学校5年生の音楽会での出来事だった。

1年生から6年生までの全てのクラスから代表を決め、父兄も参加して講堂で独唱をするという催しだったが、そこで起きたことは誰も信じられないハプニング的な事件だった。

 伴奏される先生は男性で、楽器はご本人お得意のアコーディオンだったのだが、私はその演奏で歌うのが大嫌いで出場したくなかったのである。

 1年生から本番が始まり、どんどん自分の出番が近付いてくる。音楽的に今流に分析すれば、その先生の演奏は旋律をそのまま奏でるので歌い難く、リズム感に問題があったと言えるだろう。

  やがて司会の先生から私の名前が呼ばれ、センターマイクの前に立った。クラス名と曲名の紹介があったのに伴奏が始まらない。どうしたのと舞台の袖を見ると 伴奏の先生が楽器を抱いたままで慌てている様子。間違いなく何かが起きている。そしてしばらく時間が流れ、司会の先生が次のように案内された。

「楽器に不具合が生じ、一部の音が出ないようです。そこで**先生のピアノ伴奏で行います」

 それは、絶対に信じられない運命の悪戯のような出来事。ピアノ伴奏はそれまでに何度もご一緒したことのある大好きな女性の先生。アコーディオンの先生には申し訳ないが、<神様っているんだ!>なんて思いながら気持ちよく歌えることになった。

 不思議なことはそれだけではなかった。私の歌が終わった瞬間にアコーディオンの調子が正常に戻り、次の生徒から最後の生徒までアコーディオン伴奏となり、全出場者の中で私だけがピアノ伴奏という今でも忘れられないハプニング体験だった。

  ボーイ・ソプラノと言われた私。中学校に入学してから高齢だったが女性の音楽専門の先生に特別に可愛がって貰った出来事もあるが、2年生になって担当の先 生が変わった初めての音楽の授業の時、先生から突然の指名を受け、前の先生からの伝達事項だと言われて「カプリ島」を歌うように命じられたのだが、その先 生が落胆された表情は今でも強烈に憶えている。 

 何とも表現出来ない声、それは、春休みの間に俗に言われる「声変わり」になり、予想もしなかった低い声になってしまっていたからである。 

 しかし、人生とは、何が不幸で幸せかは分からないもの。20代から30代の頃のアナウンスの声質が多くの方々から歓迎され、やがて葬儀の司会と言う仕事の中で「不思議な声」と言われるに至った歴史の流れがあるからだ。

 25日は、毎年恒例の女子マラソンだ。弊社の本社前を通るし母のいる病院の前もコースとなっている。住吉区の長居競技場をスタートし、約30分で弊社前を通る。テレビ中継でスタッフの何名かが応援している姿をご笑覧くだされば幸いです。
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