2009-03-20

白い天井を見ながら  NO 2370


 3年前の今日、大阪赤十字病院で手術を受けており、今頃の時間は集中治療室で麻酔の覚めるのを待っていた筈である。

 退院後から時折に感じ始めた不思議な異変、それらが集大成になって今回の病気に至ったような気がしているが、何れも私の不摂生が原因のようで振り返りながら後悔している。

 今日のリハビリは3人の療法士さんそれぞれに1時間ずつ、合計3時間という内容だった。午前と午後に分かれているとはいえかなりハードな組み合わせ、終わると同時にどっと疲れが押し寄せるようだった。

 リハビリテーション・ルームでのひととき、療法士さんに後方から支えて貰って廊下で歩行訓練をしたが、ふと前方にお2人の姿が見えた。それは、いつもお世話になっていた蕎麦屋さんのご夫婦。転院をお耳にされてわざわざお越しくださったので恐縮した。

「お父さんの『きつねうどん』を食べるまで死ねないから。退院したら一緒に温泉に行こう」と約束してお見送り。後ろ姿に心から手を合わせた。

  もう2週間近くになるが、誕生日に合わせて多くのお見舞いメッセージを頂戴したが、次の日に関東に在住する孫から手紙が届いた。「病院で誕生日は大変です ね。でもね、私も入院して誕生日だったのよ」と書いてあったが、4年少し前、アメリカに在住していた幼稚園で骨折をして入院していた出来事があったのを思 い出した。

 すぐにでも飛んで行ってやりたい思いだったがどうにもならず、ただメールに添付されてきた写真を見ながら「早くよくなれ!」と念じた歯痒い思い出が蘇ってきた。

 三角巾を腕にしてベッドの上に寝ている初孫、その隣にアメリカで生まれた二人目の孫が写っていたのをはっきりと覚えているが、お釈迦様と同じ誕生日となったその孫も間もなく4歳を迎えることになり、今回は意味不明の絵を同封してくれていた。

 その絵の裏に「せつ明 **の書いた絵」と書かれてあったが、「絵」という字が糸偏ではなく「ネ」になっていたのがご愛嬌、孫とは「生きなければ」という欲望を与えてくれる何よりの存在である。

 さて、大嫌いなMRI検査、前の病院と違って耳栓とヘッドホンで防御され、気が変になりそうな音が随分と遮断されたが、それでも<早く終われ、まだか?>という恐怖感は変らず、もう遠慮させてくれと願うばかりであった。

 検査が終わって部屋に戻り、久し振りにプライベート・メールを開けてみたら、北海道の大切な友人から思わず手を合わせたくなるような内容のメールが着信していた。
 病気の見舞いの難しさを患者の立場で慮る彼らしい文章、仲間達から「気配り名人・心配り名人」と称された人物、齢を重ねられてますますあおれらを強く感じるこの頃でもあり、北に向かって手を合わせた

 この病院、祭日、土曜日、日曜日の隔てなくリハビリの予定が組まれている。運動を目的として廊下を2周して戻ると枕元の壁に予定表が張られてあり、明日はOTとPTの時間となっていた。

 そうそう、もうひとつ「声」と「食事」のリハビリであるSTだが、今日は私の発声や文章を読んだものを録音、今後の変化を確認するツールとなるようだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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