2017-11-15

懐かしい  NO 8029

高知駅 像一昨日のNHKテレビの「家族に乾杯」を観ていた。北陸の加賀を訪れていた笑福亭鶴瓶師匠が、山中温泉の旅館「かよう亭」に立ち寄られて旅館の人達と話されていた。

この旅館に何度か宿泊をしたことがある。全室で10室しかない高級旅館として知られるが、初めて利用した時はびっくりした。

フロント横でお茶をいただいた後に仲居さんの案内で部屋に向かったが、仲居さんが部屋の鍵を持っておられないことに気付いた。

廊下を進んで部屋の前に行くと入り口の扉が開いており、「お着きです」と声を掛けられたら中から「お待ち申し上げておりました」と別の仲居さんが登場された。

宿泊料金は我々庶民には高額だったが、コスパという観点からすると価値観はあったが、前述した部屋の入口の鍵が廊下側にはなく、部屋の中からしか掛からないシステムで、大浴場に行く時に不安を感じたことも憶えている。

部屋でお茶と茶菓子をいただいたさいの座布団はフワフワの厚いものだったが、大浴場から戻って夕食時には薄い座布団に替わっており、「お着きの時はお疲れですのでフワフワでしたが、お食事の際は動き易いように」なんて説明があった。

そうそう、大浴場のひとときを過ごして部屋へ戻ろうとスリッパを見たら、タオル地の新品に替わっている。それも拘りの配慮みたいだが、部屋の中の別室に櫓こたつがセッティングされていて寝転ぶには最高だった。

恥ずかしいことだが、帰路に洋服ダンスの中にマフラーを忘れたことに気付き、北陸自動車道のサービスエリアから電話を入れて宅送して貰ったことを思い出す。

山中温泉は妻のお気に入りの旅館が多い。「花紫」「胡蝶」などもそうだが、所属していたライオンズクラブの主催した家族旅行で利用した大きなホテルで、部屋数の割り当てから抽選で特別室が当たってびっくりしたが、昔から籤運が強かったのかもしれない。

北陸には多くの温泉がある。「片山津」「山代」「粟津」「宇奈月」「和倉」などが知られているが、車で北陸に向かった時に疲れて敦賀で宿泊することになり、北陸トンネルの工事で湧出した温泉である「トンネル温泉」も懐かしい。

友人ファミリ―と一緒に山代のホテル「百万石」を利用したのは30年前のことだが、その後に閉業されてしまったので寂しい思いも。

粟津温泉だったと記憶するが、「法師」という旅館を利用したら、部屋にご挨拶に来られた方が創業から1000年以上経過していますと言われてびっくりした。

因みに我が国で最も創業の古い旅館はギネスにも認定されている山梨県の「慶雲館」で、何と西暦705年だそうで、有馬温泉の「古まん」が717年、「法師」が718年と紹介されている記事を読んだこともある。

@「紅葉は葉の命の燃焼である」という司会のフレーズを思い出したが、松尾芭蕉の晩節に詠まれた句が身に染むこの頃である。

「この道やゆく人なしに秋の暮れ」は死を迎える一カ月前に詠んだ句だし、病中に「やがて死ぬけしきは見えずセミの声」を読み、知られる「旅に病んで夢は枯野をかけ回る」に繋がって行く。

命の短い例えとして「春の淡雪」「夏の蝉」「蛍灯」があるが、もう70年も生かされた中で13回も入院しているのでそれぞれを思い出している。

今日の写真は高知駅前の広場の銅像を。今日は坂本龍馬の誕生日でもあり命日でもある。
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