2017-11-13

阿倍野まで  NO 8027

貸切風呂 随分前からパソコンのアダプターのコードが傷んで切れ掛かっており、発火事故でも発生鋳たら最悪と懸念していたが、やはり危険と考えて天王寺まで行って来た。

現在使用しているパソコンを購入したのはエディオンだったが、その店舗が現在はビックカメラに変わっていた。

現物を持参していたのでパソコン売り場のスタッフに見せたら、商品番号を確認するとネットを開けて調べてくれ、同じ物は製造中止になっていますと教えてくれ、「これなら対応可能です」と出してくれた。

もしも合わなかったら返品可能と言われて持ち帰り、接続してみたらうまく行ったので安堵した。

郵便物の中に雲仙の「宮崎旅館」の葉書があった。このDMを持参してフロントに出せば2000円以上の買い物で20パーセントOFFなっていた。

昨年末に医院へ行ったが、年末から年始に掛けての休診日のことを考えて風邪薬などを処方して貰ったが、新年迎えて3日に予想外の体調異変が起き、一ヶ月間苦しむことになった。

それは発症と同時に医院で点滴を受ければ軽くて済むが、休診日だったので我慢していたのが悪かったみたいで、開院した時から点滴を受けて薬を処方して貰ったが半月間は激痛に苛まれることになり、現在でも時折神経痛に悩まされている。

1月の中旬から九州旅行を計画して予約してあったことから決行したが、温泉で温めることも効能があるとネットで知って何度も温泉に入っていた。

熊本県の新大牟田駅から友人の車で平山温泉に向かい、部屋にある温泉で温まった心地良さは最高だったし、「つばめ」で熊本駅に移動し、懐かしい友人夫妻と会って昼食を共にしてから彼の自宅に行き、2時間程過ごしてから熊本新港へ送って貰い、島原港を結ぶ高速フェリーを利用した。

島原外港からタクシーで雲仙温泉へ向かい、念願の宮崎旅館を利用し、もう一度行ってみたい旅館であるが、広い露天風呂付きの貸切風呂が無料だったことも有り難かったし、次の日に旅館の送迎バスで諫早を経由して2時間も要する長崎駅まで送って貰ったが、長崎駅近くで昼食をしたのも如何にも長崎らしい料理で印象に残っている。

最終日に宿泊したのは佐賀県の嬉野温泉。ネットで調べておいた名物の豆腐料理を食べてから旅館に行ったが、夕食が部屋食で「すき焼き」だったので換気扇のない部屋で大変だったことも思い出となっている。

前号で触れた友人達は湯布院で宿泊していた。40年前頃の湯布院の情緒は風情があって素晴らしかったが、今は若い女性や中国人の団体客が目立って多くなっているので残念な思いもする。

初めて湯布院で宿泊したのは「玉の湯」という旅館だった。仲居さんが絣の着物姿だったし、テーブルや洗面台のガラスの下にも絣柄の布地が置かれていたのも忘れないが、寝具の柄まで絣だったのでびっくりした。

食事の際の箸置きも凝っていた。夕食が椿の花の付いた枝で、朝食時は菜の花だった。

そんな「玉の湯」も全面的にリニューアルしてしまったので当時の雰囲気はなくなってしまったが、ホスピタリティーに関しては厳守されているようで、「亀の井別荘」「無量塔(むらた)」と並んで湯布院の御三家として呼ばれている。

足腰が弱り、目が不自由になって来ているので「動ける内に」「見える内に」とあちこちに出掛けたいと思っているが、テレビの旅番組で興味を抱いてメモをしているホテルや旅館も多くあり、そんな中の一つに前述の「宮崎旅館」のすぐ前にある「雲仙観光ホテル」がある。

クラシックホテルとして知られる名門ホテルだが、フランス料理のフルコースなので私は苦手なので大変だ。

高齢者の旅行が多くなって来ているのでどこの宿泊施設でもバリアフリーに対応しているところが増えているが、ある老舗旅館がバリアフリーのベッドの一つが病院のベッドのように電動で起き上がることが出来るのでびっくりである。

今日の写真は「宮崎旅館」で利用した貸切風呂を。
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