2003-12-04
説諭「節度と湯」
今日の毎日新聞夕刊、一面の片隅にある「近事片々」に面白い言葉があった。
環境省の小島敏郎さんの著書にあった言葉だそうだが、次のように書かれてある。
『国際社会のルールを米国は力で、欧州は知恵で、中国は数で作る』
短い言葉で国民性をうまく捉えている比喩表記だが、これを見ながら、ふと、数日前に私の知人がHPで書いていた文章を思い出した。
それは、有名なタイタニックジョークであるが、確認されたいお方は、久世栄三郎の世界からリンクされている「空飛ぶ水冠」内、コラム「迷いの窓」NO12「文明と宗教」をご訪問ください。
さて、昨日は「説教」のことを書いたが、私には忘れられない思い出として残る「説教」の光景があるので紹介申し上げる。
それは、銭湯での出来事だった。丸刈りの中学生らしい子供がシャンプーをしている時、後からやって来た仲間の数人が、そっと後方から背中に少しずつ水を掛け出した。
背中をモゾモゾしながらもイタズラとは気付かないようで、そのままシャンプーを続けているが、業を煮やしたひとりのイタズラ坊主が、突然に大量の水を掛けたからたまらない。被害者が驚いて大声を出して飛び上がった。
しばらくし、その子がシャンプーを終えた時、その一部始終を見ていたオジサンが行動を起こした。
「みんな、そこに並べ」
それは、軍隊調の強烈な命令イメージで、その迫力に悪戯っ子たちが整列する。
「君たちは、何処の小学校だ?」
「中学生です」
「何? 中学生? それだったらガキみたいな悪さをする筈がないだろう。君たちは小学生だ」
そこから始まった数分の説教だが、次のような演説だった。
「いいか、悪戯にも許せることと許せないことがある。さっきの悪戯は悪いことだ。もし、された子が驚いて心臓麻痺になったらどうするのだ? その子の将来 はどうなる? 生きていたら結婚をし、子供が出来るかも知れん。それも出来なくなってしまうではないか。それからな、頭の中の脳には細い血管がいっぱいあ るが、驚くことでその血管の何本かが死んでしまうものじゃ。驚かなかったら80歳まで生きられるのに、ひょっとして50歳しか生きられないかも知れん。分 かるか?」
この説教の最中、私がいた男性側は静まり返り、数人いた全員が耳を傾けていた。
やがて、子供たちが「すみませんでした。悪いことでした」とバツ悪そうに頭を掻いた。
「分かったか。よし。分かれば中学生じゃ」
最近、他人の子供を叱るオジサンが少なくなってしまった。それから3年後、そのオジサンが亡くなられ、私が葬儀を担当した。