2003-12-01

喪主の意外な苦労    NO 622

生涯に於いて、喪主をつとめる回数は限られている。一般的に長男であれば、両親、伴侶で3回だが、自身が高齢になれば伴侶の葬儀で子供が喪主となり、2回となる。

 人生に於ける最も衝撃的なことは、子供を亡くすことだが、これだけは誰もが体験したくない不幸。

 儒教精神の強い国では、子供が先立つことは最大の親不孝で、葬儀を行わない風習があったと言う。

 喪主を体験して初めて分かることが多くあるが、誰もが苦労していることに親戚の参列者数の把握がある。

 訃報通知後に、「当家は、通夜は**と**の3人で。葬儀は**と2人で行きます」なんて知らせてくれるケースは皆無。通夜が始まる頃になってようやく把握することになる。

 葬儀を終えると「精進落とし」という慣習があり、料理の予約をしなければならないが、<もし足らなかったら、自分や家族の分を回そう>なんて発想はダメ。遺族側が食べない事実が伝われば、「施し」を受ける側の心情が複雑になってしまう。

 余れば無駄な経費となるが、「施し」は「程」を「越し」という語呂合わせもあり、後悔されないよう少し余裕をもって注文されることをお勧めする。

 余談になるが、数年前、葬儀終了後に2軒の料理屋さんから仕出し料理が届けられたことがあった。

一方は、喪主さんが。もう一方は、近所の方の善意的なお世話から。つまり、注文がダブってしまった訳だが、30数名分の料理、あまりにも気の毒なので、弊社も担当していたスタッフ10名分の食事として、負担を願い出た思い出もある

 喪主の立場で気を遣うことは、自身が勤める会社の上司の参列。そして、妻の親戚や嫁いだ兄弟の親戚の存在。

 だが、意外に疲れるのが、親戚たちが持ち寄る各地の慣習。これに泣かされた被害者が想像以上に多い。

 葬儀にやって来る親戚たちの大半から、「小姑」みたいな発言行動が出るのも事実。特に地方から来られる本家のパワーは凄く、その地の慣習で葬儀が執り行われるケースもあるから怖い。

 「悲しんでいる暇なんてありませんでした」

 後日談として、喪主のそんな言葉が多いもの。葬儀に参列して「お邪魔虫」的な行動は避けたいもの。

「あの人さえいなかったら、いい葬儀が出来たのに・・・」

 遺族との会話に、そんな言葉も少なくない。その言葉、そのまま我々の思いとしても共通しているのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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