2003-12-12

金封と「お布施」    NO 633

葬儀には、宗教者に対する「金封」が付きものである。

仏教形式が多い我が国で、代表的と言えば「お布施」ということになるが、その金額は別として、金封の種類や表書きが地域の慣習によって異なることもあり、非日常的な葬儀の場で右往左往されている光景を見ることも多い。

 「葬儀だから「白黒」の水引」。「いいや、銀の水引だ」。「仏事ごとだから白と黄色の水引だ」

 そんな会話が交わされるが、中に「お布施の本義からすると『紅白』だ」という意見もあり、これは、お寺さんの中にも賛同される方が多い。

 布施の代表的なものに「財施」「法施」「無畏施」の三つがあるが、上述の布施は、どちらかと言えば「財施」となろう。

 「布施という施す行為で功徳を頂戴する」。また、「喜捨」という心から「紅白」という考えにつながるのだが、誤解をしていけないことは、布施は「謝礼でない」ということ。

 葬儀を終えて、「お布施です」と差し出される金封、受け取られた宗教者が「有り難う」なんておっしゃったら「布施」の本義は消滅する。

 先祖や故人の供養のために「自身が布施の行為をする」との考え方が重要で、上記のやりとりでは、読経に対する労力への報酬と化してしまうだろう。

 さて、私は、これまでの人生にあって、お客様が包まれる金封の表書きを数え切れないほど担当してきた。パッと推測しても数十万枚となるが、この金封への書き込みには難しいことがある。

 劣悪な字しか掛けない私だが、筆を手に書き込む際、瞬時にセンターが把握できている。

 達筆な社員たちに書かせても、中央に鉛筆で罫線を入れてから書き始めることがあり、この私の特技は、長年のキャリアで自然に生まれた体感的なものと思っている。

 先月、あるお寺で行われた葬儀、喪主と委員長さんを伴って控え室に挨拶に伺い、お布施を差し出されるやりとりに感動したので紹介しよう。

 「どうぞ、故人への供養でございます。些少でございますがご尊前に」

 そうおっしゃった喪主さんに、「お預かりいたします。ご尊前にお供え申し上げます」

 この会話が素晴らしいと感じた方は、かなりの仏教通だろうが、結びに、これらに因む逸話を書き申し上げる。

 ある人物が「お布施」を持って寺にやって来た。その対応は弟子である小僧さんの仕事。

 「布施をしているのに、住職からは、いつも礼のひとつもない。なんと高慢な」と吐いてしまった愚痴だが、それを小僧さんから耳にされた住職が次のように教えられた。

 『布施という善いことをされるのは良いこと。それは、本人の喜びでもある。それに私が礼を返すのはおかしいこと。返せば彼の功徳を奪い、布施の本義に外れてしまう』
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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