2003-12-08
黄 昏 NO 629
クリスチャンでは、臨終間際に牧師さんが枕元で教義を説かれる習慣もあるが、仏教のお寺さんが僧衣で病院内を闊歩されたら、患者さんから歓迎されることはないだろう。
私の昔からの愛読書のひとつである「大法輪」の昭和54年2月号に、朝日新聞編集委員「百目鬼恭三」氏の「死について」から抜粋された面白い表記があった。
ひとつは、フランスの将軍が病室で牧師さんの教義を聞きながらのやりとり。
将軍 「あの教義は、本当のことか?」
妻 「そうですよ。本当のことですよ」
将軍 「そうか、本当のことか。それでは急いで信じるようにしよう」
もうひとつは、アメリカの将軍。
牧師 「天使たちが、あなたを待っていますよ」
将軍 「これは驚いた。もう少し待たせておいてくれ」
人が人生の終焉に残す言葉は様々。世界的に著名だった作家や音楽家などは、それぞれにユーモアで締めくくった名言もあるが、病魔に苦しみながら死を迎える際には、そんな余裕なんて生まれないだろう。
「家を守ってね」「仕事をしっかりね」「家族と幸せにね」
そんな言葉が多そうだが、ご遺族から伺った辞世の言葉に感銘を受けたものも少なくない。
葬祭業に従事してから、ご本人の遺言でご指名をいただいた葬儀も数多くあるが、そんな中、ある女性の方の末期のお言葉が印象に残っている。
その方がおられた事務所に私の知り合いが多く、当時、そこで囲碁が流行しており、招かれたり押しかけたりで何度もお会いした方だが、ご主人を早く亡くされ、一人娘さんのことをいつも気掛かりにされておられた。
ご訃報の電話を頂戴し、ご自宅を訪問した私が最初に拝聴したのが臨終間際のお言葉。「久世さんに電話をしてね」だったそうだ。
人生の黄昏を迎えても、「終(つい)」への整理や準備をされる人は少ないもの。
私に財産なんてないが、二人の子供と一人の孫の存在があり、命の伝達だけは出来ている。
そんな黄昏を感じながら道楽で始めたこのコラム。生きた「証し」として無形の財産であって欲しいと願っている。