2013-04-25

懐かしい  NO 3265


 テレビの観光番組を何気なく観ていたら、宿泊したことのある旅館が登場して懐かしい思いが。若かりし頃、トヨタのクラウンにロイヤルサルーンが発売されてすぐに購入し、偶々九州へ行く所用があり、交流の深かった近所の知人と行くことになった。

 当時は山陽道も中国道もない時代、2号線を避けて9号線を選択して山陰を走った。宿泊したのは玉造温泉の長楽園。庭にある大きな露天風呂には驚かされた。

  一か月ほど前、近くの眼科に行ったら、その人物が息子さんに連れられて来られていた。優しくて素晴らしい女性だったご伴侶が数年前にご逝去、その後に体調 を崩されていたと聞いていたが、私が中学生時代に新婚だったご夫婦にお世話になっていたことからの長いご仏縁。高校時代にはその方のマツダ・キャロルで琵 琶湖北部のスキー場へ行ったが、雨で雪が解けてしまって滑らずに帰って来たことも忘れられない。

息子さんに「お父さんをよろしくね」と言葉を掛けたが、近所の銭湯でよく会ったことも懐かしい思い出である。

 人生とは出会いと別れの繰り返しばかりだが、会えて良かったという人が多いのは大きな財産。しかしそれが別れとなると悲嘆が強くなるのも宿命である。

 そんな中学生時代のこと、どんなご仏縁からかは不明だが、父があるお寺の離れを1年間ほど拝借していたことがあり、時折そこから学校へ通うこともあった。

 もちろん毎日ではないので通学定期は購入せず、普通に切符を買っていたことを憶えている。

 お寺は羽曳野病院のすぐ近く。近鉄南大阪線の藤井寺から近鉄バスで羽曳野病院まで行き、そこから歩いて5分ぐらいだった。

 境内から20メートルぐらい下に野池があり、横着なことだが釣りをしたことも記憶しているし、藤井寺駅ではなく道明寺駅まで歩いて行ったこともあった。

 中学校は住吉区にあり、阿部野橋から上町線で通っていたが、生野区から阿部野橋までの市バスと共にもちろん通学定期を利用していた。

 当時の上町線には信じられない古風な電車があった。車掌さんが運転手に発車を知らせるのにロープが天井でつながり、それを引っ張ると「ちんちん」と音が鳴ったところからチンチン電車と呼ばれていたのだろうが、今でも函館を走っているレトロな雰囲気の電車みたいであった。

  天王寺駅からは平野駅行きもあった。阿倍野斎場の交差点から左折し、現在の阪神高速道路の文の里入り口の方へ路線があった。軌道の両側の風景はまさに「三 丁目の夕日」そのもの。今では考えられない長閑なものだったが、通学時間が重なるので多くのあちこちの学校の制服姿を目にしていたのも懐かしい。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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