2006-01-26

リラックスタイムで  NO 1406


 葬儀という本業以外に様々な仕事がある。ホテルでの「偲ぶ会」や「お別れ会」は本業の部類に入るが、講演やセミナーの講師という活動があるので大変。これは仕事ではなく「生きた証し」につながる余生の行動と言うべきかもしれない。

何処かのタレント化した狂言師みたいにバッティングをしないように、毎日手帳を確認しているが、1年ほど前に完成した多目的ホール、コンサートやイベントという業務も増える一方。何よりご相談で来社される方が予想以上に多くなった。

28日に「琴」のコンサートがあり、29日には大阪女子国際マラソンの大画面中継をホールを開放して今年も実施する。

 弊社前の道路が往復のコース、往路は長居公園競技場を出て今里筋を北に向かうが、画面で杭全町の交差点に到達した頃に応援に出ていただく企画。この間の温かい空間提供も社会還元の一環、バリアフリーで前回は車椅子の方に喜ばれた。さて、今年はどうなるか?

 昨日、親しい友人の伴侶の誕生日、差し入れを何度も頂戴しているスタッフ達もメッセージとプレゼントを用意、私が花を添えて届けたら大感激、彼女が私の年齢に追い着いた日でもあった。

 ネットのニュースに「休もう運動」のことがあり、厚労省の指針案で「単身赴任者は妻子の誕生日に休みを」と記載されている。果たしてどうなるのだろうかと興味を覚える。

  一方にテレビで「口害」を撒き散らす占いオバサンのこともあった。番組の中で「今年は良いよ」とホリエモンに言ったそう。「高知」競馬が騒がしいようだが 「拘置」所の中は静かな筈、そこで反省から後悔に至り、将来の社会に役立つ仕事を成し遂げる転機になれば「占い」は当たったことになるかも?

「占い」は「売らない」と書くと誰かが言った。よく当たると言われ、妥当な範囲の報酬を得ている時は少しは信頼性があるが、それを完全な商売にしてしまうと「只の人」となるそうで、私の周囲でそうなった2人の人物を知っている。

 さて、塾生からメールがあった。「共に仕事をしている仲間から、葬儀が変わったと言われます」とあり、「こんなにやさしい葬儀は初めて」「母の娘に生まれてよかったと感じた葬儀だった」と、ご遺族や参列者から言われるようになったと記されてあった。

 続いて書かれていたことも成長を物語るものだが、これは葬儀司会者が考えたい問題なので要約の上、下記に転載させていただこう。

『若 い司会仲間と勉強会を持つことになりました。彼らの葬儀に対する考え方、死、宗教観・・それらの淡白な考え方に驚くことがしばしばです。人の死を担当する 司会者は、その方の人生に携わるのです。葬儀は故人のためであることは当然のこと。同時に遺される家族のためにもあるということ。だから遺族となった家族 との共感なくして葬儀は成立しないということ』

『そして、この世とあの世の境界に、やはり宗教者の存在は大きいということ。日本人の90%が宗教に関心がないと言っても、日本人の潜在意識の中には神仏を敬い畏れる心が生き続けているということ。それらが私の中で大きくなっていった考え方です』

 彼女は、数日前に幼い子供の事故死という悲しい葬儀を担当しており、その時の悲痛な想いを切々と訴えてきていた。そこで司会者が行動すべきスタンスについて返信しておいたが、新しいステップアップにつながればと願っている。

  今日の銭湯は「薬草湯」だった。タオルを頭に載せ浸かっていたら子供がやってきた。丁寧に掛かり湯をしてから入浴、<感心な子だ!>と思って顔を見たら銭 湯の若旦那の息子さん。小学2年生で図工と算数が好きと教えてくれたが、幼稚園の頃にお爺ちゃんの葬儀があった。その時からすれば随分と成長していたので 嬉しい湯船の再会となった。

 浅い湯船に一歳ぐらいの赤ちゃんを抱いた若い人が入っている。背中から足まで見事な刺青、数を数えながら子供の相手、そこは至福の親子のコミュニケーション、「あんた、上がるでえ~」と女湯から元気な掛け声。町の銭湯ならではの光景である
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