2023-12-25

思い出したこと  NO 10071

朔日は友人湯豆腐を食べた。広島の友人へ電話を掛けてくれ、「私と変わって会話をしたが、「寂しいですね」の言葉に堪らなくなった。

お好み焼を食べに尾道へ夫婦で行ったこともあるし、しまなみ海道へ連れて行って貰い、大山祇神社や西日光耕三寺にも参拝したことを懐かしく思い出した。

初めて尾道へ行った際に用意しくれたホテルは尾道グリーンホテルで、コーナーの部屋で尾道水道の景色が印象に残っている。

その時は松山の友人も一緒で次の日に千光寺に参拝したことを憶えている。

お好み焼が出たところで妻と忘れられない出来事があった。伊勢の母方の家で不幸があり、お通夜に参列することになって鶴橋駅で近鉄特急のチケットを購入し、昼食を食べようと風月の鶴橋店に入った。

スタッフの方に特急券を確認して貰い、焼きそばとお好み焼を注文したが「間に合いますよ」と言われて座っていたが、どんどん時間が流れ、すぐにホームへ上らなければならない時間になった。

そこで、車内に持ち込むことを伝えてパックに入れた状態にして貰っていそいだ。

乗り込むと同時に発車してホッとしたが、シャイに焼きそばやお好み焼きの香りが流れていたので他の乗客の皆さんには申し訳なかった。

実家に着いたら「神式」であることが判明し、先に火葬してからお通夜というしきたり愕いたが、体調が優れないので志摩磯部駅まで送って貰い、近鉄特急で帰阪した。

この時に小学校時代の同級生がやって来て、一緒に遊んでいたK君が警察畑を経て伊勢神宮の警衛のトップに就任したことを知った。

彼とは昭和天皇の行幸の際に現在の近鉄志摩線野沓掛駅の近くで日の丸の旗を並んで降っていた記憶があり、伊勢神宮にえにしがあった不思議な出来事を知ってびっくりした。

これまでに何度か書いたが、伊勢神宮に行った際に警衛の方に勝てのことを確認したら、その2年前に亡くなり、津市で行われていた葬儀のその人物も参列されていたことを知っ無性に寂しくなった。それは下宮の入り口のことで、駐車場のっ前に会った喜多屋さんに立ち寄ってウナギ料理を食べた。

その店は沢村投手と投げ合った阪神タイガースの西村投手の実家で、店内には貴重な資料が掲示けいじされていたので阪神ファンにはお勧めだ。

沢村投手も西村投手もら戦死されている歴史があり、愚かな戦争だけはないことを願ってしまう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net