2013-11-24

よかった!  NO 3469


18 年振りに再会となる女性が車でホテルに迎えに来てくれた。彼女は我が社の元スタッフだった。入社間もなく九州から依頼された大規模な合同社葬のスタッフと 一員として同行させたこともあったが、伊丹空港発日本航空一番便に登場しなければ間に合わず、当日の明け方に空港集合だったので大変だった。

彼女との思い出話の中にその時の逸話があった。女性スタッフの制服は私が選択したもので、当時としては珍しいしネクタイ着用のダブルタイプからか、客室乗務員の女性から「自衛隊か警察の方ですか?」と質問された出来事があった。

熊本空港からレンタカーで式場に向かい、2時間の式を終えて最寄り駅近くのレンタカー会社に車を返却。俗に謂われる「乗り捨て」という形式だが、特急の「つばめ」の到着まで15分あったのでホームにあった蕎麦をみんなで食べたことも憶えている。

博多駅では駅弁を買う時間しかなかったし、小倉駅に着くまでに食べ終わって関門海峡を過ぎて山口県を走る頃には全員爆睡状態になって新大阪まで戻った行程だったが、彼女はそのことをはっきりと記憶していた。

そ んな彼女が気仙沼に移り住み、あの大震災に遭遇し、大変な被害に遭っていたのだが、それからずっと気掛かりになっていたところ、各駅停車というコラムを担 当している「幸せ列車」のHPにある日新聞記事が掲載され、そこにあった写真に彼女らしい面影を感じてびっくり。記事内にあった名前を確認し、間違いなく 彼女でご夫婦ともに助かっておられた事実を知って思わず手を合わせたものだった。

この世に生がある内に「会いたい」「行きたい」「励ましたい」の「たい」という欲望が高まり、今回の北海道講演に合わせて函館、八戸、気仙沼とご仏縁に結ばれる人達と再会する行程を組んだものであった。

ご 仏縁というものは不思議である。コラムに気仙沼に行く予定と書いたら、塾生であった女性からメールが届き、宿泊予約をしていたホテルにご主人が勤務される 会社の臨時支局があり、取材出張がなければ会えるかもしれないということだったが、生憎出張と重なってしまったようで、それは残念だったが叶わなかった。

ホテルのスタッフの方やタクシーの運転手さんから伺った震災の体験談は想像をはるかに超える衝撃的なレベルで、助かったことが本当に幸運だったという思いを強く感じることになった。

全てを失って将来が真っ暗になってしまったご夫婦だったが、今は前向きになって新しい商売を始めておられ、新聞記事に採り上げられたように町の復興に取り組まれる行動力が話題を呼び、近々にテレビの取材があることも知った。

出合ってくれて有り難う。そして「この世に存在してくれていて有り難う」。また「こうして再会出来て有り難う」と、感謝を込めて彼女の挑戦に手を合わせる。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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