2005-09-19

体験談から  NO 1275


 出勤すると社内で流れている音楽が変わっていた。今日は、クラシックの名曲のピアノ・ソロ。心身の行動が音楽に合わせて自然に変わっていくことは確か、時には囁きの調べ。そんな時、ふと、街の喧騒が消えたり、作業の手を休めて耳を傾けるひとときに浸ることにもなる。

  生ある人がこの世を去ることは淋しく悲しいこと。追憶、追想、想い出という言葉のように、過去を振り返って出会いから別れの日までを回想する。そこにピア ノの音色が醸し出す環境は、まさに愛惜の調べとして心に残り、頭の中にある記憶という名の引き出しを次々に開けてくれる。

 人生の終焉は様々、壮絶な闘病の姿が何より悲しいこともあるだろうし、不慮災いで急逝された際には対象となる加害者への怒りが悲しみを何倍にもしてしまうこともあるが、別れの悲しみよりも、その人との思い出に対して澄んだ涙を流すことが「人」の「情」と言えるだろう。

 塾生「MAMADIARY」さんのページで妊婦さんのことが話題になっていた。人を集め、人を走らせる葬儀にあって「参列するべきではない」とか「胎教に悪いから火葬場に行くな」という第三者の意見が多くあることも事実。

 親の葬儀でさえ親戚の方々を交えこんなやりとり、「鏡を身に付けなさい」という風習が飛び出すことも多く、それらについては掲示板に「水冠」さんが書き込みくださったので
省かせていただく。

  土着した習俗は時の流れにあって宗教よりも強く、法律さえ飛び越えてしまう恐ろしさがある。その迷信の意味も分からず勝手な知識となって他人を巻き込む現 実、それらは葬儀の場には山ほどある話、それによって被害者になる方が生まれることは二重の悲しみとなるし、生涯の後悔という解決出来ない負担も生じるだ ろう。

今日は長文となるが、塾生達のやりとりに「水冠」さんまでご登場いただいたところから、私が体験したことを書かせていただこう。

 ご出産を前にご主人を亡くされた不幸な葬儀を担当した。誰も予想することが出来なかった突発性の病での急逝、その事実を知られた時から奥さんは悲嘆の心情に苛まれ、誰も側に近寄れない状況となっていた。

 そんなことから葬儀の日程を2日間延ばすことを提案、ご遺族と親戚の方々の賛同を得て4日後の葬儀で進められた。

 やがて通夜のひととき、「火葬場に送るな」という上述の意見が親戚の方から出てきた。「胎教にも悪いだろうし」という言葉もあった。しかし、奥様の「送りたい」というお気持ちが強く、それらはご主人側と実家の両家の親達の対立という危険なシナリオも考えられた。

「ご主人は、奥様とお腹の中の子供さんに送って欲しい、欲しくない?」も考えましょう。
そんなアドバイスで解決できるレベルではなかったこのケース、奥様は、通夜のご読経を終えられたお寺様に控え室でご相談、側に実家のご両親も伴われていた。

「鏡なんて誰が決めた分からない迷信じゃ。しかし、人が『いけない』ということに逆らうことも得策ではないことも事実、葬儀でしっかりと見送られ、火葬場には行かない方がいいでしょう」

 それがお寺様のアドバイス。しかし、奥様は頑なに行きたいという思い「今、自分に出来ることは最期を見届けることだけ」という言葉に異常なまでの「意地」を感じた私だった。

「子 供に影響があったらお父さんが悲しむぞ」というご両親の意見、しかし、悲嘆心情の中で最悪と言われる「幻聴」「幻覚」兆候まで陥っていた奥様には、全てが 否定という状態でしか受け止められず、「今、『送ってくれ』という主人の声が聞こえたでしょう?」という言葉にご両親はただならぬ異常性を感じられ、私を 見つめ「何とかして!」と無言の訴えを送られてきた。

 午後10時過ぎ、弔問者が帰られ、親戚の皆さんが2階の控え室に上がられた時、祭壇の飾られた部屋は奥様とご両親、そして私の4人だけとなった。覚悟をしていた瞬間の訪れだった。

 迷信について打ち消すことは難しくないが「胎教に影響」ということの切り崩しが大変。そこで提案したのが次のことだった。

「命 の伝達からすると、子供さんに伝わる可能性が高いと考えます。お母さんが悲しまれて涙をいっぱい流されること、それは、産まれてくる子供さんの分も加えら れることでしょう。辛い思いをしただけ、涙を流しただけ人にやさしくなれるという言葉があります。そうすると子供さんに『やさしさ』という感性が胎教とし てプラスとなるのでは?」

 それは、親戚の方々を説得させるパワーがある提案ではない。奥様の思いを実現させるにはフォローが不可欠、そこで二つの提案を付け加えることに。

 ひとつは「後悔」の問題、「なぜ送った」という攻撃を奥様が受け止められることは大丈夫とすれば、「送ることが出来なかった」という奥様の後悔を誰がどのようにして解決してあげるのかということ。

 そして、もうひとつは、この問題提起が話し合われる場の環境設定の重要性で、私が描いたシナリオのコンセプトは親戚の人達を「客観」と「中立」という立場に置かせることだった。

 4人で2階に上がって行って話し合うこと、それはお酒や食事が振る舞われていることもあり避けるべき。そこで祭壇のある式場をその会合の場として決めて進めることに。

「恐れ入りますが、式場にお集まりください」なんて、葬儀社なら絶対にしない僭越な行動、それをしなければならない情況、説教になっては間違いなく成功することのない難しい舞台、背中に存在するご遺影の応援をいただきながら言葉を切り出した。

「皆 様、映画やテレビのドラマで裁判の光景をご覧になったことがあるでしょうか?あの光景を思い浮かべていただけませんか。但し、条件付です。条件とは、天井 にカメラがあって、それが裁判所内のすべてを映し出しているということです。傍聴席、弁護人、検察官、被告人、原告人、裁判官。見えてきましたか?お感じ いただけましたか?皆様はカメラの視線でお考えください」

 その場に存在する全員の心をニュートラルにさせること、それには、どうしてもこのシチュエーションが重要で、それに対して<何が始まる?>との表情を感じたが、発言する人は一人もなく、続いて上述の問題について皆さんが客観的にご判断されることを願う言葉を続けた。

 人は、どうしても裁判官の立場で物事を考えてしまうもの。時には弁護人、検事、被告や原告、そして傍聴人の立場で考えれば異なった判断が可能となる。そこに賭けた勝負であり、正直吐露すると、私は完全に奥様の弁護人という立場で努めていた。

 途中で裁判官みたいになって、悲嘆心理の分析についてという説教型も仕方なくやってしまったが、最後の締め括りは「ご遺影をしっかりとご覧ください」ということ。

 そこから先は思わなかった応援の言葉も頂戴し、意外にスムーズな結果を迎えることになったのだが、「送ることが出来る」と決まった瞬間から奥様の表情が一転し、ご自身が夫のために何が出来るかを考える行動に出られたのだから不思議であった。

 あれから月日が流れた。子供さんは元気に小学校に通っておられる。お母さんは後悔されることなく愛情いっぱいで育まれているようで、ペットを可愛がる姿にやさしい性格を感じている。

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