2005-08-24

残念な事件  NO 1250


 苫小牧高校の不祥事がニュースに。大きな感動を与えられた人達に衝撃が走っているだろう。

 素晴らしい映画が終わって、主題曲を耳にしながら画面に流れるキャスティングを眺めているような至福で余韻のひととき、それがぶっ壊されたような感じもする。

 ふと<誰が悪いの?>と考えたら答えは「大人」暴力という愚かな行為に走ってしまった感情に哀れみを覚えてしまう。

 部長と生徒の軋轢を興味本位に捉えるべきではなく、学校教育の過程で言葉の説得力低下の現実を考えたいものである。

 説得は相手を納得させることだが、言葉が役立たないと判断してしまい暴力に至ることは教育者ではないと言えるだろう。

 納得させることが出来なかったら自身の説得能力を嘆くべき。識者の「氷山の一角」という言葉も飛び交っているが、それも無能な識者の逃げの言葉となる筈だ。

 駒澤大学は禅宗にゆかりある学校法人であり、禅の教えも教育に取り入れられているだろうが、それだけに残念でならない関係者も多いだろう。

 学校側の書類報告を待って高野連で審議されるようだが、来夏の大会出場選手は平成生まればかりになるという時代の変化も考えるべき。子供も変わってきているし、育てる親の考えも変化している事実もある。

 不祥事発生で注目を浴び、いつも中国の人民裁判みたいに審議が進められている体制も変革の必要があるのでは。

 陪審員となる多くのファンが見守っている中、誰もが納得される粋な大岡裁きを期待したい。

「念」という字は「今」の「心」と誰かが言った。それを理解され、全国の人達の思いを納得させることの出来る決断を下して欲しい。

 今からお疲れモードを癒しに銭湯に行く。今日は朝からあちこちの地蔵盆の設営のお手伝い。テント、椅子、机の貸し出しが多くあった。撤収は明日と明後日の両方あるが、台風の影響を受けるまでに進めたい。

 私の明日の仕事は、遠方で行われる葬儀の司会。音響が響き過ぎる式場構造でセッティングにコツがいる。ただ全天候型なので雨の心配がなく静かな葬儀になるだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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