2003-03-17

ちょっと独り言   NO 375

葬儀が行われた後、国民健康保険や社会保険に加入されている場合、手続きをされると葬祭給付金のようなかたちで定められた金額をいただけることになっている。

 これらは、数年前まで「自主申告制」となっており、知らずに権利を放棄されてしまった方が少なくなかった。

 弊社では、10数年前から葬儀を終えられた次の日に、これらの手続きの詳細文書が到着するように郵送しているが、このサービス提供が意外に喜ばれている。

 何度か申請書類を見たことがあるが、「埋葬費」という表記に誤解が生じていることも否めず、「当家は火葬したから」ということで行動に至らなかったという事例もあった。

 葬儀は終わった後が大変。名義の書き換えから年金や相続税の問題まで、悲しんでいる時間がないというお声を耳にしたこともあるが、突然死など強い悲嘆にくれられるケースでは、そんな行動が出来ないというのがあたりまえ。

 疲れと悲しみ、そんな中では1冊の本さえ開く気力はなく、弊社では、これら事後処理に関するすべてを10通の手紙に託して郵送している。

 一般的に葬儀社は「葬儀だけ」と思われがちだが、電話を受ける事務所はまるで「よろず相談所」。法事や仏壇、お墓の入魂に対するお布施の相談から、時には遺産相続の揉め事に巻き込まれることもある。

 とんでもない相談を持ち込まれる場合、必然として、我々が持つ専門知識以外ということになるが、これらに共通していることは「聞いて欲しかった」「話したかった」ということが多く、そんな鬱憤解消もサービスのひとつとなっている。

 しかし、こんな行動に秘められている大切なことを忘れてはならない。それは、遺族の心の中に生まれている「思慕感」への理解で、葬儀を担当した葬儀社は、悲しみの事実を知っているということなのである。

 「私が悲しんでいたことを知っているでしょう。見ていたでしょう。私、悲しくて寂しくて仕方がないのよ」

 葬儀社への後日の接近は、悲嘆の吐露という上記の部分が割愛できることになり、これを、私は「思慕感」という言葉で表現している。

 さて、今日の夕刊に訃報広告があった。亡くなられたのは、故 笹川良一さんの奥様。喪主をつとめられるのは衆議院議員の笹川 堯さんだが、故人が日本吟剣詩舞振興会の会長さんだったからかも知れないが、訃報広告の冒頭の一文が素晴らく、次のように表記されていた。

 『梅花咲き 桜花咲くを待たず・・・・』

 さあ、今から遠方のお通夜に出掛けよう。
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