2016-01-16

あの日の前日  NO 4437

忘れられない日シーンの会長のブログを更新。テーマはバス事故から感じた「命って」となっている。

さて、「幸せ列車」のHPに掲載されている10年前の今日の「独り言」に、前年の同日に神戸の公館へ行った出来事を書いていた。阪神淡路大震災の10年目に行われた追悼式の祭壇設営の場に行っていたものだが、両陛下がご出席されることから前日の設営時でも前以て入館者の申請手続きをしておかなければならなかった。

祭壇が完成してから行われてリハーサルで陛下の役を担当させていただいたことも忘れられないが、阪神淡路大震災が発生した当日のことははっきりと憶えている。

当時は血圧を安定させるために医師から軽い睡眠導入剤と精神安定剤を服用していたことから、絶対に目が醒めることは考えられなかったが、それが強烈な揺れから気が付いて目覚めたのである。

就寝していた部屋は1回の和室だったが、天井からぶら下がる和風の蛍光灯が大揺れで何度も天井にぶつかる光景に驚き、布団の上で全く動けない状態で固まってしまっていたが、我が家が軋む音に恐怖感を覚えたことが忘れられない。

当日に私が司会を担当する葬儀が2軒あった。1軒目は午前中の葬儀だったが、お通夜に60人のご親戚が来られていたのに当日は30名も来られなかったと言うよりも、来ることが出来ない状況となってしまっていたのである。

交通機関は全て運休状態だし、大阪市内の大きな橋も通行止めになっており、市内は車で溢れてどうにもならない状況だった。

出勤出来ないスタッフ達もいたし、導師を務められたお寺様も車が駄目なので自転車で来られて大変だったと伺った。

午前中のご出棺をお見送りしてから午後の葬儀の式場へ行った。こちらもご親戚が少なくなってご遺族が心配されていたが、葬儀を終えてご出棺をしてから大変な体験をした。

その葬儀は瓜破斎場がいっぱいで大正区の小林斎場に入場となっていたのだが、阿倍野橋の近鉄百貨店から西は停電になって信号も作動せず、大変な混乱状況になっており、いつもの3倍以上の時間を要して斎場へ到着したが、行きは宮形の霊柩車が先導していたので譲られることもあったが、帰路はどうにもならずに3時間ぐらいを要して式場に戻ることになった。

その数日後から大阪市内の火葬場は震災の犠牲者を受け入れることもあって8日待ちということまで起きてしまったが、深いご仏縁に結ばれる神戸の公詢社さんが2千数百名の犠牲者を担当され、その後の研修会で拝聴した吉田社長の体験談は涙なくして聞けるものではなかった。

2度と体験したくない大地震だったが、数年前には東日本大震災が起きている。人間は自然に対して無力だと謙虚に考えて過ごす考え方も重要だろう。地球環境を取り戻そうというキャッチコピーを目にしたことがあるが、地球環境を悪くしたのは我々人間である。おかしな宗教を信仰して他人を被害者にしないで自然を崇拝する基本から学ぶべきだと伝えたい。

今日の写真はこの日を忘れないようにという「命の灯」である。明日で阪神淡路大震災から21年目を迎える。犠牲になった方々に改めて手を合わせよう。
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