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2005-12-06

体験から  NO 1355


 過日の「笑いと健康講座」で書いた「旭堂南湖」さんのことだが、「旭堂南海」さんのお弟子さんではなく「弟弟子」さんの誤表記、お詫びして訂正させていただく。

 彼の講談を拝聴しながら感じたのは、会場空間をコンダクターのように自然に指揮されていること。分かり易く言えば「引き込む」となるだろうが、客席に時間を感じさせないプロらしい感性が見事で、そこに秘められたインテリジェンスに「師」の意味があったように思っている。

 彼の歴史についてはHPに詳細があるので割愛するが、近い将来に弊社のホールにゲストととして招きたいと考えている。

 さて、昨日は初孫の6歳の誕生日。時差を考えながらメールで「ひらがな」のメッセージを送ったが、プレゼントとクリスマスを「カタカナ」にしてしまい<しまった!>と思った。

 学校では英語の会話が交わされている筈、そこでバースデイを含め「英語」でという思いもあったが、もしもスペルを間違ったら爺ちゃんの恥、それからすると<まあ、いいか>と考え直し、<風邪引くなよ。事故に気をつけろよ>と手を合わせて祈念した。

 数日前の夜、道すがらに罵詈雑言が飛び交う男女の喧嘩の光景に遭遇したが、「人でなし!」という甲高い女性の言葉が耳に残った。

 幼い子供が被害者なった事件が続いた。家族が突然に遺族となった衝撃を拝察すると堪らなく悲しいし、「人でなし」という加害者が増えた世の中に恐ろしさを覚える。

  こんな悲しい葬儀の司会なんて誰もが逃げ出したくなるもの。しかし誰かが担当しなければならない。「淡々」「坦々」となりそうで場内に「嘆々」の想い。重 苦しい空気の会場で、誰もかわいい笑顔の写真を見られず俯いたまま。「遺影」の言葉がこれほど当て嵌まらない葬儀はないだろう。

 昔、そんな悲しい葬儀での出来事。導師を勤められた若いお寺さんから通夜の終了後に相談を受けたことがあった。

 彼は、お通夜で涙声の読経、辛そうで遺族に声を掛けることも出来ない状態だった。「あなたの涙が最高の供養になるよ」と慰めた私だが、その相談というのは「御布施を受け取らない」ということだった。

 それも崇高で立派な考えだろうが、「受け取るべき」と言うのが私の結論。「お布施はあなたが労力報酬として頂戴したものではなく、あなたが帰依されるご本尊にご遺族がされるもの」とアドバイス。

 さて、葬儀の当日、私と遺族が控え室に参上すると、彼は御布施を受け取らず、遺族に次のように言った。

「御布施は、今、私がお預かりするべきではありません。お骨がお帰りになってからご家族でお寺へ来てください」

 彼の目に涙が見えたが、それは昨夜の涙よりもっと澄んだ感じ。昨夜とは見違えるように立派に導師を勤められた。

 その日の夕方、家族と共に私もお寺に行ったが、ご本堂で読経が行われた後、促されたご遺族がご本尊の前に御布施を供えられた。

「私の力は及びませんが、ご本尊様が**ちゃんをあたたかく見守ってくださいます」と言われた彼の表情に、いかにも宗教者らしい誇りを感じた出来事として心に残っている。
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