2015-09-10

衝撃の大水害  NO 4307

鬼怒川温泉午後のテレビのニュース映像に衝撃を受けた。これほどの水害の光景を目にしたのは初めてのこと。警察や自衛隊のヘリコプターが取り残された人達を救助する行動に思わず気を付けて頑張れと思っていた。

電線の危険性から送電をストップして停電となっているが、マスメディアのヘリコプターが救助活動に妨げにならないことを願っている。

友人から「孫さん達は大丈夫?」という電話があった。2011年の大震災の時には学校の体育館の避難していた体験があるが、水害の周辺地域に近いこともあり電話を入れたら、小学4年生の孫が出て、「お姉ちゃんの学校は行ったら休校になったので帰って来たみたい」と言っていたが、直接的な被害が及んでなかって安堵した。

この50年で初めてという記録的な豪雨だったようだが、あの台風がこんな被害を及ぼすとは想像もしていなかった。

栃木県から茨城県に流れ、利根川と合流して太平洋につながる鬼怒川だが、「鬼怒」と当て字されたのは明治になってからだそうで、その昔は穏やかな流れから「絹川」「衣川」と呼ばれていたとあったが、今回の堤防決壊はまさに「鬼怒」の裏面を見せたような出来事だった。

ネット社会になって携帯から救助を求める書き込みや、周囲の映像を録画したものを投稿される映像も流されていたが、そんな情報社会から孫の学校にも緊急時の情報版があってその日の様子を把握出来たのでその利便性を再認識した。

行方不明の人達の存在が気に掛かるが、自然の猛威とは本当に恐ろしいものだと実感。鬼怒川温泉のホテルの露天風呂が崩壊したり、浴衣姿で避難している宿泊者の映像を目に、何時何処で災難に出遭うか分からないと思った。

降り始めから400ミリを超えた福島県のいわき市の大雨被害も甚大みたいだ。この地に深いご仏縁のある同業者の存在があるので気に掛かる。あの大震災の時に大変な被害に遭遇し、親戚の人が行方不明のままということも悲しく、当時のフラッシュバックが今でも出るというのも深刻な状況である。

過去に宿泊したことのあるホテルや旅館の被害映像を見ると、自身が幸運だったと手を合わすことになる。これからもあちこちに出掛けた時には一層最悪の想定をすることになるだろう。

床上浸水や床下浸水の後始末は想像以上に大変である。高齢者が生活されている家庭では支援する人達が必要である。また多くのボランティアの人達が登場されることを願って手を合わす。

今日の写真は30年以上前に日光に参拝した時に立ち寄った鬼怒川温泉を。これまでに3回の思い出がある。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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