2015-02-10

心配なこと  NO 4100

イスラム国の一連の問題で被害者となった人物の映像を、2校の小学校と1校の中学校の授業で生徒に見せ、命についての教育をしたというニュースがあったが、先生にも様々な思想があるものだと考えさせられることになった。

数日前のニュースでは、裁判員裁判制度で裁判員に指名された人達の8割が複雑な心情に至ったという事実も紹介されていたが、法廷で殺害された被害者の映像を目にして失神してしまった男性もおられたそうで、冒頭の小中学校の教育が果たして妥当なのだろうかと疑問に思う訳である。

私は運転免許証を昨年の春に返納しているが、更新の際に義務付けられた講習のお粗末さには強い抵抗感を覚えていた。

交通事故の件数や統計を講義しても伝わることは少なく、お通夜や葬儀の式場の光景を見せ、悲しみとは何かとことを伝える方が安全運転につながると思っていたが、免許証を返納するまでそんな講習を一度も体験することはなかった。

最近は、高速道路を逆走する人が多くなっているという社会問題が浮上しているが、その大半が認知症を患っている高齢者だそうで大変である。

数日前のニュースにびっくりすることが紹介されていた。実家の近くで在住している娘さんに高齢のお父さんから電話があり、「エンジンが掛からない。故障かもしれないから見てくれ」と言われたので自転車で駆け付けたら、エンジンは掛かった状態でサイドブレーキが解除されていなかったことからアクセルを踏んでも車が動かなかったことが判明した。

その事実からお父さんが認知症である疑いを感じ、診察を受けたら初期症状が出ていることが判明し、何か良い方法はと考えたのが車が故障していて修理も出来ないそいうシナリオにして、廃車の手続きを進めたという体験談だった。

運転をすることがなくなったので加害者となって被害者を出すこともないので安堵された娘さんだが、自分自身がおかしくないと思っている認知症の人がいっぱい運転している現実を考えると恐ろしい話である。

若い人達にも認知症を患うこともあるそうだが、我々の年代になったら気を付けなければならない。こんな「独り言」の更新をしているならまだ大丈夫のようだが、同じことを書くようになったら「おかしい」とご指摘いただけたら幸いである。

前にも書いたことだが、何を食べたか思い出せないのは単なる「物忘れ」で、食べたことを忘れるようになったら認知症だという専門医の解説が印象に残っている。

囲碁や将棋、楽器の演奏、パソコンを打ち込む指先の行為などが頭の活性化につながるそうで、何もしないと細胞が劣化してしまうという医師の発言を耳にしたこともある。生かされた証しとしてコラムやブログの発信をすることも精神的な健康法なのかもしれない。

今日の写真は広島の「ピピの日記」の写真を拝借。尾道でも過日の寒波で積雪があったそうである。
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