2014-01-26

ナマステー  NO 3530


朝の喫茶店、顔馴染みの常連客から質問された。素朴な疑問こそ難しいが、日頃に気にしていなかったら問題にならないのに、その質問を受けると同時に店内が一気に静かになり、「そうや、私もおかしいと思っていたから興味があるわ」というオバサンまで出て来た。

質問は我が大阪の四天王寺のこと。「お寺なのにどうして鳥居が?」ということだった。

四天王寺の鳥居は「西門」にあるが、遠い昔から存在するので大阪の人達に違和感がないようだが、他府県から来られた観光客達には疑問のようで、数日前に参拝され、そんな会話の光景を目撃されたそうで質問に至った事情も知った。

そ の解答だが、鳥居の代表的なものには2種類あり、伊勢神宮の内宮の入り口にあるものと四天王寺の西門にあるものとは大きな違いがあることに気付く。上部の 横になっている部分の下の部分を「貫(ぬき)」と呼ぶが、前者は内側に収まっており、後者は外へ突き出していることに気付かれる筈である。

前者は純粋な神社の象徴であり、後者は神仏融合というケースになっている。

そう答えた訳だが、内心<知っていた良かった!>と思っていたことを正直に吐露しておこう。

さ て、友人の息子がタイに出向勤務しているので心配でならないと話していたが、起きているデモの報道を見ていると簡単には鎮まる様子はなく、ひょっとしたら クーデターみたいな状況になるのではと懸念する状態になっており、友人が危機感を抱くことも当たり前のようで、緊迫、深刻というような状況なので同情して いる。

エジプト国内でもテロ問題が多発しているし、もうすぐ開催されるロシアのソチでのオリンピックも大変のようだ。

人間社会には思想や宗教の異なりに軋轢が生まれ、時には血を流す争いになることもあるが、遠い昔からそんなことがなくならないとは情けない現実である。

最 近、オウム事件の裁判のことが注目されているが、あの地下鉄サリン事件が起きたのは阪神淡路大震災の後だった。朝のテレビニュースで事件の発生を知り、ま だ加害者が特定されていない状況で出勤し、会社にいた女性スタッフに事件の当事者はオウムだと発言したら、まだ分からないのにどうして断定されるのですか と反論されたことがあった。

「無差別な殺戮行動が出来るのは戦争と宗教しかない。歴史がそれらを物語っている」と返したが、それが事実だったことが判明した時に「当たっていましたね」と驚いた表情を思い出してしまう。

宗教は「人を幸せにしなければならない責務を伴うもの」なのに、被害者を作って「人を不幸にするなんて以ての外」で、特に問題なのが信者だけが幸せになろうとする行動である。

何度も書いたことだが、仏教は「奪い合い」ではなく「与え合い」の思想。今日あることに感謝をして手を合わす姿が美しいものである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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