2004-11-23

変な葬儀屋?  NO 984


 朝から会場の音響チェック。音響と照明のプロと一緒に様々なテストを。

 大きく拍手を打ち、それで反射音と残響音を確認するが、天井の高さ、壁面材質の硬さの影響から3秒程度の残響がある。

 これは、マイクの世界では大問題。壁の材質を変えるのは不可能だし、厚いカーテン生地でも張り付けるか?なんてやりとりもあったが、とにかくイコライザーを微調整、何度もテストを行って、これが限界というレベルに至るまで時間を費やした。

 どんな世界でもプロとは妥協を許さない。しかし、絶対に無理強いはしないもの。それは物事には限界があるから。逃げ道を与えることと妥協点の納得も求められる。そんな関係が友情として結ばれることが嬉しいことだ。

 「十数年振りです」という商社の代表者が来社した。「パテントを取得しましたので」とパンフを持参され、幾つか新製品という物を拝見したが、最も売りたい物に失礼なアドバイスをしてしまったよう。

  扉を開けられた時の表情と、帰られる時の表情に異なりを感じる。私は、すべてを後ろ姿に凝縮させて物事を考えてしまう性格だが、自信を持たれていた商品の 問題指摘は衝撃が大きいよう。ましてや「パテント」となると、そこに至るまでのプロセスを慮るのは当然だろうが、今日のアドバイスは次の商品開発に必ずヒ ントになることもあった筈。またの来社を歓迎したい。

 司会者教育研究会の責任者もやってきた。彼から他府県情報を教えて貰い、今後の指針の参考にするつもり。

 彼とは長い付き合い。互いが齢を重ねたと思っているが、心の中は青春時代みたいに燃えており、今日、伝えるのを忘れたが、来月のコンサートのミキサーを頼もうかとも考えている。

 自宅に帰り、頂戴したメールの返信を打ち始めた頃、どうも足腰に痛みを感じている。その痛みは懐かしいもの。ゴルフから帰った時の痛さと全く同じ。<どうして?>と考えたら何度も上り下りした階段が原因。運動不足が身に沁みた。

 そんなところで「MAMADIARY」さんのページを訪問したら、コラムや掲示板で「自殺」のことが話題になっている。

 来世のことは誰にも分からないが、自殺は周りを不幸にするし勿体ない行為。幼い子供がいるのに病気になり「生かしてください」と神仏に祈る若いお母さんも存在するのに。

 私は「慈曲」の存在を愛しているように「慈」という言葉が大好き。他人を慈しむ心を抱いていますか?と問われた際、「はい」と答えられる人でありたい。

 自殺に至る時、生きなければならない義務があり、その義務遂行に生かされる権利が生じることを知って欲しい。周りの人をご覧なさい。あなたより不幸な人がいっぱい存在されるのでは?

 少なくともお母さんを思い出すこと。あなたをこの世に誕生させた時の喜びとお腹の痛みを理解してあげなさい。

 愛情不足? 10ヶ月間もお腹の中にいて、その愛情がどんなに強いか分からないの?

「死亡」という字は恐ろしくて悲しいもの。それは「死望」ではなく「死訪」という時の流れの自然を待つべきもの。

 私は、葬儀屋。自殺や事故の被害者の葬儀なんて担当したくない。なぜなら参列者の誰もが不幸な儀式となるから。私が願っている葬儀は「見事に生き抜かれたね、ご苦労様」と拍手で送るお手伝いをしたいから。どうか、皆さんがそんな人生を送ってくださるよう願っています。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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