2004-10-26

号外 地震に感じて  NO 954


 新潟地震で上越新幹線「とき」脱線のニュース映像を目に、これまでの人生が幸運であったことに手を合わせている。

 新潟県に講演に行った際、利用したのが「とき」だったが、燕三条駅の改札口で、私の名前を書いた大きなプラカードで迎えてくださり、気恥ずかしかった光景が目に浮かぶ。

 数年前、全国各地に出掛けていた頃、一週間に新幹線で5000キロも移動した思い出もあるが、今回のような地震に遭遇していたらこの「独り言」を発信していることもなかっただろう。

 被災地の上空から撮影された映像を見ると、あちこちで山肌が現れており、心を一気に凍らせる冬の訪れを感じてしまう。

 人生とは、今日あるのは「不思議」と感謝をしたいもの。お母さんが運転する車、幼児2人と崖崩れで埋まってしまったニュース映像に、思わずそんな心情が生まれてきた。

 「死は前からやって来るものではなく、後ろから襲ってくるもの」と何度か書いたことがあるが、57年間も生かされてきて<何と悪運が強いのだろうと>と感謝をしよう。

 人は、死して何を残すのだろうか?「犬去って梅花を描き、鶏去って紅葉を残す」という言葉もあるが、「遺す」足跡を刻むのは自分自身。 

 誰もがポックリや災難との遭遇を御免蒙りたいし、少なくとも家族に自分が旅立つという覚悟の時間だけは与えたい。

 新潟といえば高僧「良寛様」を思い出す。「裏を見せ、表を見せて散る紅葉」という句を遺しておられるが、今回の悲惨な事態をどんな句で詠まれるのだろうかと思ってしまう。

 地震、台風、火山、雷なんて体験したら、宗教の根源が宇宙や地球という対象に気付く筈。人を幸せに、不幸を不幸でないように。そんな宗教者の活動を期待する。

 被災地の皆さん、どうか強いストレスに打ち勝ってくださるよう。何より余震が治まることを祈っています。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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