2004-11-16

参りました  NO 977


  冷え込んだ今日の大阪の夜。お通夜が終わり、お寺様が帰られた頃、風邪気味になっていることに気付いた。朝から夜中に頂戴していたメールを確認し、講演会 へのご参加お申し込みが予想以上にあり、このコラム「独り言」をご笑覧くださっている方が多いという事実に恐ろしくなった震えも?

 <何か、おかしなことを書いていないだろうか?>と少しだけ遡ってみたが、昨日「白木の位牌」を「2本」と表記しており、誤解を招いてはいけないので「言い訳」を。

 位牌の数え方は「柱」が一般的だが、まだ文字の記入や入魂ということが成されていない状態なので「本」と表記している。

 ふと、机の上に書籍らしい郵送物が置かれている。恵贈くださったのは、先月に無宗教形式の葬儀をされたお方の喪主様。中を開けると<これは!>という立派な書物が入っていた。

 「楽さん・六やんの地獄極楽道中記」と題された本。「はじめに」の文中に「人の話と蚊取り線香は、最後まで聞(効)かんと、あきまへん」とあり、「落語で学ぶ・仏法心理基礎講座」12章が記載されてあった。

 「語り・・幸福亭英奈(こうふくてい ええなあ)」さんとの表記もあるが、何と喪主様が書かれた中身の濃い「仏法落語」なので驚嘆した。

 喪主様は、気品よりも「貴品」を感じた美しい女性。事前相談の頃から頂戴したお手紙の内容、また、ご葬送の儀式の際や火葬場までの車中で拝聴したお言葉で<普通の人じゃない>とは悟っていたが、この本の内容や同封のお手紙でその奥行きの深さが理解できた。

 担当申し上げた葬儀は「無宗教形式」ではあったが、プロデュースのコンセプトに重視したのは「超宗教」、それが果たしてよかったのかどうかを改めて考える起爆剤にもなってきて震えている。

 「あの日から独り言を毎朝の日課に」「仏が久世社長や大阪高級葬儀をこの世にあらしめてくださったことに感謝」なんてお書きくださっている。もう、逃げ出したい心境。

 しかし、お母様のご葬儀を担当させていただいた「えにし」が、こんな「かたち」になって結ばれるとはまさしく「ご仏縁」。私は、この喪主様とのご縁に特別な思いを寄せることにもなった。

 なぜなら、恵贈くださった「地獄極楽道中記」が愚書「七万歩才 あの世の旅」と同じテーマだから。<ひょっとして、閻魔大王のお引き合わせ?>とも思ってしまう。

 三途の川に奪衣婆と懸衣翁の存在が登場するが、この部分、私の愚書では「十王経」的発想とは少し異なる物語にしている。それは、単純にその方がドラマティックだから。

 喪主様は、多くの新聞記事にも登場されている。「私の視点」の記事では「笑いは心のエネルギー」と題された文章が。そこに「落語作家を目指している理由です」とのご注釈も。

 御礼に何かと考えたが、取り急ぎ愚書「あの世の旅」をお返しとして送ることに。

 一通り拝読させていただいた「地獄極楽道中記」だが、大阪の言葉で面白おかしく創作されたストーリー。そのまま舞台脚本としても可能なぐらい。

 所々に解説が入っているが、これがまた意味深くて味がある。素直に「参りました」と脱帽のうえ手を挙げて、そのまま下ろして手を合わす。有り難うございました。
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