2004-02-02

命の炎   NO 688

北海道「室蘭市民斎場・苫小牧市民斎場」のHP、社長が発信しているコラム「めもりあるトピックス」に悲しい物語が掲載されていた。

 若い夫婦の間にやっと宿った「命」、医師の診断による残酷で衝撃的な宣告。先天的な病から、出産後に10分も生きていることが出来ないという悲劇。お母さんのおなかの中で出産を待ちわびる赤ちゃんの過酷な運命、それは「命って、何ですか?」と叫びたくなるようなドラマ。

 「私に何が出来るのだろうか?」と苦悩される社長のやるせない思いが切々と綴られていた。

 ご訪問される方は、弊社HP内「リンク」のページからお進みください。

 さて、昨日、小学校の同期生に会うことがあった。あれから44年の月日の流れ、互いに面影は残っているが、話題が親の介護と孫の寵愛ということが中心になり、少子高齢社会の真っ只中にいる団塊世代であることを再認識することとなった。

 彼の孫は虚弱体質そうで、暖房で石油ストーブが使えないそう。そこから昔話に戻り、教室にあった石炭ストーブのことが話題に登場、講堂の横にあった石炭置き場からバケツで何度も運んだ思い出が懐かしく、温まるまで時間の掛かった石炭ストーブへの郷愁が一気に広がった。

 時代が流れ、ガソリンから衣服まで何でも石油。地球上で限りある資源だが、その所有権に絡んで戦争が頻発する歴史も変わらない。

 人生は、1本のローソク。燃え尽きるまでの時間は様々だろうが、限りあることだけは忘れたくないもの。

 今、あなたのローソクの灯火の明るさと強さはどんなものなのでしょうか?

 いつ消えるかも知れませんね。でも、周りを明るくする役目だけは果たしたい。

 自ら火を消す人生も少なくないが、消す前に1本のローソクのことだけは思い出して欲しい。

ローソクは親から貰った授かりもの。点火をしてくれたのも親だった。それらは、やがて子から孫へ脈々とした命の伝達として受け継がれるべきもの。

 片隅でほのかな明かりを灯し続けるひ弱いローソクでもいい。でも、美しい色に燃えたいもの。

  この前、あるお寺の住職の葬儀を担当した。ご本堂にある燭台のローソクが「赤」から「銀」に変えられる。そのローソクの炎の様子が激しかったが、それは、 和蝋ということだけではないような気がしたし、生きている内に「燃やしなさいよ」と教えてくださったような思いを抱く体験でもあった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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