2003-01-17

忘れられない日   NO 316

今日は、阪神大震災から8年目。当日の午前5時46分、この時の恐ろしい揺れの体験は、今でも強烈に思い出されてくる。

 ぞの前日、ハードなスケジュールを終えた私は、次の日の早朝に起床しなければならず、何とか早く就寝をと、医師から貰っていた軽い睡眠導入剤を服用していた。

 この薬は、それまでに何度か用いたことがあり、約10時間の効力があるところから、早朝に目を覚ますと朦朧とする状態があるが、午前0時半頃に飲んだ薬の効果は、信じられない揺れと不気味な軋みの音で、約5時間で破られることになった。

 目が覚めた時、暗い中で天井の蛍光灯が大きく揺れ、天井に何度もぶち当たっている状況。立つことも不可能な激震の中、成す術もなく家の軋む音に<倒れないでくれ>と祈っているだけだった。

 揺れが治まって、すぐに2階に上がりテレビのスイッチを押した。しばらくするとテロップで震源地と震度が表記され、びっくりするようなNHKの事務所内の映像が放送され、宮田アナウンサーの緊張した放送が始まった。

 <余震がくるのでは?> そんな恐怖感に襲われる。

 そんな時、3階にいた娘が降りてきた。「珍しいわね、こんなに早く起きているなんて」

 「何をのんきなことを」 私は、娘を叱りつけ、大変な事が起きているということを伝えた。

 そこから映し出された光景がどんなに悲惨なものだったかは、誰もがご存じなので割愛するが、葬祭業に従事する私達も、この日から約半月に亘って、二度と体験したくない辛い思いをすることになった。

 弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバーに、神戸の「株式会社 公詢社」さんがおられるが、昨秋の大阪、神戸研修会で拝聴した吉田社長の講演では、その当時の衝撃的な体験を改めて知るところとなった。

 6千数百人の犠牲者の内、2000人近い方々のお世話を担当された公詢社さん。彼の会社では、毎年、今日1月17日の未明に全社員が入浴のうえ新しい下着を身に付け出社し、震災の発生した時間に屋上で慰霊式を行っている。

 そして、彼らは、その後に自治体が主催される慰霊式典のお手伝いに出発される。

 弊社のスタッフを、その式典に招いていただくことになり、女性スタッフが出席することになったが、自然の恐ろしさと命の儚さ、そして尊さを学んできてくれた筈と確信している。

 地震や雷という自然は本当に恐ろしいもので、人間が「ちっぽけ」な存在であることを教えてくれるが、それが神の象徴であるような思いを抱いても、幼い子供の命まで奪ってしまう現実には憤りと虚しさを感じてしまう。

 東海地震や南海地震の襲来が話題になっているが、あんな体験だけはしたくないと祈って止まないところである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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